傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

愛されにくさへの手当て

 わたしは愛されにくい。ほとんど誰もわたしを愛さない。しかたがないから愛されにくくてもできるだけ楽しく生きていく方法を考えようと思った。十五のときのことである。

 わたしは空気が読めない。口頭での会話が苦手で、人と話す場面でがちがちに緊張する。クラスの子たちは半笑いで気持ち悪そうにわたしを避けた。話ができない人間は基本的にだめだ。でもたまに問題ない人もいる。ろくに口をきけない女の子はクラスにもう一人いたけれど、彼女はとても華やかな容姿だったから、可愛い可愛いと言われて何人かの女の子たちに取り囲まれていた。

 わたしは美しくない。ごつごつしたからだつきで痩せても太っても女の子っぽくならない。顔は左右非対称で目が奇妙な垂れ方をしていて鼻が曲がっている。肌がでこぼこで毛穴もすごく目立つ。態度とあいまって「気持ち悪い」という表現がもっとも適切だ。生理的な嫌悪感をもよおされやすい容姿なのだ。

 わたしはそれを認めた。しかたないと思った。女の子なのにねえ可哀想にねえというのが口癖の、四十過ぎてもつるつるした肌のきれいな母にうんざりしたためでもある。母は、わたしの世話をしたけれど、わたしのことを気持ち悪いと思っていた。

 母に愛されないから、母を憎むことにした。あんな低俗で愚かで不勉強な女はいないと思うことにした。母がわたしの容姿をけなすと、うるせえゴミクズ、と心の中で言って、じっとりと母を見てやった。そのうち母はわたしと口をきかなくなった。わたしは気づいた。母はわたしが怖いのだ。わたしがたくさん本を読んでいて、うまく話せなくてもものを考えるのは得意だとわかっているから。

 わたしは母を見限った。きょうだいはいないし、父親は家庭にまったく関心がない。友人はできたことがない。祖母は少しやさしかったように思うが、わたしが七つのときに死んだ。十五年生きて、誰にも愛されない。死にたいような気もしたが、死ぬのは怖いからやめた。

 わたしは会話の練習をした。台本を作って暗記し、鏡に向かって何度も話した。可愛い女の子の写真を実物大にプリントアウトし、それを箱に貼って練習に使った。よく使う台詞のパターンを作り、それを状況に合わせて発声できれば、会話ができる。わたしは十五歳から二十歳すぎにかけて懸命に訓練し、果敢に実践した。もちろんみんながわたしを気味悪がって無視したり、ひそひそ笑ったりした。でもそんなのはどうでもいいと思うことにした。学校を出たら一生会わない。おまえらなんか練習台だ。そう思った。服装はスタンダードをきわめた。地味目の普通。店員の目もぜったい気にしないと決めてばかみたいな量の試着をし、毎日化粧の練習をした。大学生になると、少しはましに見えて舐められにくい格好を確立した。

 その結果、わたしは視線を微妙に外したまま棒立ちになって無表情でぼそぼそ話している不気味な人として、特定の何人かと会話ができるようになった。十代後半を費やした血のにじむような努力の成果としてはたいしたことがないようにも感じるが、でもいい、と思った。SNSも使った。口頭で話すよりは上手くことばを出せるし、容姿も関係ないからだ。そうしてSNS上で話す相手を幾人か見つけた。

 それから大学を出て就職した。上司も同期もわたしをいじめないが、好みもしなかった。誰にも誘われないし、昼休みはいつもひとりだ。よろしい、とわたしは思った。迫害されないだけまし、舐められないだけ上等、業務に支障がなければ重畳。

 わたしはわたしと口を利く人がいないか、時間をかけて探した。わたしのような愛されにくい人間が他人に近づくとき、ぜったいに持ってはいけない感情がある。執着だ。考えてみてほしい。たとえ気持ち悪くない人だって、ちょっと相手をしたからって全力でしがみついてきたら、怖いだろう。わたしは大学生の後半、毎週禅寺に通って自分の執着心を見つめた。今でも一人で座禅している。座っているといろいろな雑念が浮かぶが、いつも、ほとんど必ずいつも、「愛されなかった」という感情がやってくる。すごく強い恨みの感情だ。わたしは思う。「愛してほしかったのに、愛されなかったな」と思う。「恨めしいな」と思う。それを何百回も何千回も繰りかえすと特定の人にしがみつこうという気はなくなる。

 今でも親密な友だちはいない。恋人もできたことがない。でも、愛されないことを気に病まなくなった。何人か口を利く人がいて、人間扱いされているから、なんだかそれだけですごく幸福であるような気もしている。そもそもみんなだって、ちゃんと愛されているか、わからないではないか。