傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

悪夢の進捗

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。わたしは引っ越し魔なのだけれど、疫病下での引っ越しがなんだか億劫になって、しばらく今の家にいようと思っている。すると案の定、母親から「会いに行きます」という記載のある手紙が届いた。
 わたしはわたしの生家の人間に住所を教えていない。母親はこまめに戸籍の附票を取ってわたしの住所を確認して、それで手紙を送ってくるのである。
 わたしは引っ越ししてもしばらく住民票を動かさない。郵便物を転送して済ませる。そうすれば招かれざる客が来ないからである。客っていうか、ストーカーだけどな、体感としては。

 郵便物の転送期限が切れるのと、ほかにもいろいろ都合があって住民票を動かした。そうしたらすぐにその住所に「母の愛」とか「家族の絆」とかそういうのをしたためて「会いに行きます」と結ばれた手紙が届く。いったいどれだけの頻度で附票が取られているのだろうか。シンプルに気持ち悪い。家出してからの人生のほうが長いのに、そのあいだ三度の通告を経て無視を貫いているというのに、まったくあきらめていない。というか、わたしの自由意思とか感情とかの存在が、根本的にわかっていない。
 彼女は「善き母として生き生きと子育てをしたが、何かの行き違いで娘に誤解された」と思っている。わたしは彼女との記憶の相違について争う気はない。彼女は記憶を書き換える能力にすぐれている。まともな人格の持ち主なら、たとえまったくの誤解だとしても、「愛する娘」の生活を脅かすつきまといを二十年近く続けたりはしない。そしてそもそも、誤解ではない。
 もちろん彼女はわたしの職場にも姿をあらわす。わたしは職業柄、インターネットで所属があきらかになってしまうからである。しかし、わたしの職場のセキュリティは堅い。母親だろうが何だろうが呼ばれていない者は追い返される。電話やメールの相手もしない。同僚たちにはざっくりと事情を話して理解してもらっている。それでここ数年、彼女はわたしの自宅にターゲットを絞り、虎視眈々と来訪を狙っているのである。
 来訪して何がしたいのかは知らない。

 ものの本によると、虐待家庭出身者の中でもここまで親を明白に切り捨てるケースは稀であるようだ。でもわたしにとってそれは当然のことだった。
 わたしが個人的にラッキーだったなと思うのは、非常に若いうちから「わたしは両親と称する二名の血縁者からぜんぜん愛されていない」「わたしも彼らを愛することはない」と明白に理解できるほど酷い言動が繰りかえされたことだ。愛着があったら切り離すのがつらくてたまらないのだろうけど、なにぶんぜんぜん愛されていなかったし、その結果として(あるいはわたしの個人的な特性によって?)愛することがなかった。十代で家を出たときからわたしの人生ははじまった。それ以前の記憶は感情をともなわず、所定の様式で記入された書類のようなかたちでわたしの中におさまっている。

 生家から逃れてすぐのころにはよく悪夢を見た。姿がよく見えない巨大な悪いものが追ってきて、逃げようとするがどれだけ走っても逃げきれないという夢である。やがてそれは逃げようとするが足がうまく動かないという夢になり、逃げようとして靴がなくて探すという夢になり、長い時間をはさんで、ひとまずは逃げ出せる夢になった。
 そのあたりで、夢の頻度は大きく減った。でもゼロにはならなかった。
 最近は熊のような何かがわたしの住まいを占拠しているという夢になった。わたしはそれを自分の住居ごと焼き討ちにした(夢の中で)。そうして先週見た夢では、敵の姿は弱そうなゴブリンであり、しかし魔法のようなものに守られてわたしの家に居座っていた。そうしてわたしの親しい人たちを顎で使い、「だってあの人たちは家族じゃないでしょ」と言うのだった。殺すぞとわたしは思った。でもめんどくせえな、バルサン焚こうかな、と思った。
 我ながらわかりやすい夢である。悪夢にも進捗があるのだ。わたしの「敵」は強大な化け物から卑小なゴブリンへと弱体化している。そしてわたしはファンタジー小説を読み過ぎである。

 悪夢の進捗と疫病の流行により、わたしの引っ越し欲求はおさまった。ステイホームとはまさにこのこと、とわたしは思った。今の家はとても気に入っているから、まだ引っ越したくない。母親が来ても相手にしなければいいだけのことだ。気持ち悪いが、それだけである。