傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

分母を大きくする

 すこし足を伸ばして深夜営業のスーパーマーケットに寄るのが面倒だった。頭のなかにアスパラガスとトマトとバターと白身魚の姿がよぎる。面倒だったから無視して買い置きのレトルトカレーで済ませる。シャワーを浴びていてシャンプーとコンディショナー、石鹸が二種類、シャワージェルが二種類、アロマオイルの小瓶が四つ、ちまちま並んだ籠に足を引っかける。舌打ちをする。バスタオルを洗うのが面倒でハンドタオルを適当に使う。髪をがしゃがしゃかきまわす。布団にもぐりこむ。クーラーの温度を適切に設定していないことに気づくけれども腕を動かすのがいやだ。暑いとか寒いとかいちいちモニタリングして調整してやるなんて、そんな面倒なことはしたくなかった。
 彼女はそのように話す。私はそれを聞く。そういうことは私にもあるよと言う。それから付けくわえる。クーラーをがんがんにつけたまま寝たら風邪をひく、風邪をひいたらとっても不便だ、温度だけは適切にしてあげて、あなたに。私に、と彼女は繰りかえす。少し笑う。世の人の求める最低限の身だしなみはクリアしているからいいだろうという、そういう姿だった。面倒なのだと思う。よく選んで手入れをして飾りたててうつくしく笑うことになんか興味が持てないのだと思う。ふだんはそうではない。たまたまそういう時期なのだろうと思う。
 自分をきれいにしてあげようという気持ちになれないことはある。おいしいものを食べさせてあげよう、気持ちのいい部屋にいさせてあげよう、浴槽にお湯を張って好きな入浴剤を入れてあげよう、そう思えないことは、ある。自分が自分のいいものではなくて、もてなしてやるかわいいものではなくて、なんだかそこにあって邪魔な影のようなものでしかないとき。彼女はかつて継続的にそのような状態にあって、けれども幸いなことにその時期を昔と呼べるほど以前に通過した。彼女はふだん、自分の好きなものを自覚し、自分の気持ちのよさをキャッチする感覚を磨き、自分で自分の機嫌をとって暮らしている。
 彼女はコーヒーをのむ。彼女は真夏でも熱いコーヒーをのむ。そして言う。私は自分を薄汚い影みたいなものだと感じていたころの問題を解決したのではないの。ひどい目に遭ったのが過去であるとき、世間の人は許せ許せと言うでしょう、自分をひどい目に遭わせたものごとを許してあげましょうと言うでしょう、とらわれていてはいけませんと言うでしょう、私、あれが理解できない、私はあのころと同じように、私をひどい目に遭わせた人間にガソリンぶっかけて火をつけてやりたいと思う、ぜんぜん許したりしてない、でもふだんは忘れてる、それってどういうことかわかる?
 私は彼女を見る。彼女は話す。私を広くするの。かなしいことはかなしいことのまま、口惜しいことは口惜しいことのまま、辛いことは辛いことのまま、私の中にある、それはなくならない。それは以前、私をいっぱいにしていた。だから私は、私を広くした。いいものも悪いものも、どんどん入れた。つまりいろんなところに行っていろんな人とかかわっていろんなことをした。ねえマキノ、この世ではなんでも起こりうるのね、ひどいことも、すばらしいことも。私はそれを、どんどん自分に入れて、自分を広くした。だからかなしいことや口惜しいことはふだんは見えないの。ほかのものがいっぱいあるから見えない。でもそれはあるの。だから私はときどき何もかも面倒になる、うすぎたない影みたいだったころの気持ちがやってくる、そして私はレトルトカレーを食べる。
 買い置きがあってよかったじゃんと私は言う。彼女はほほえむ。それから尋ねる。ねえマキノ、私は、許せ許せと言う連中のするようにしていないから、ときどき昔のようになるんだけど、それは悪いことなのかな、あの連中はそれを見てざまあみろって言うのかな、許していない不寛容な人間だからだって。私はげらげら笑う。身を乗り出して彼女の肩をたたく。言い聞かせる。たとえそう言う人間がいたって、なんでもないことだよ、カレーを買っておけばいいだけのことだよ。私も許せなんてせりふ、ほんとうにばかみたいだと思うし、まとめて火にくべてやりたい、許せって何その理不尽な命令形、許すか許さないかは私の内面が決める、それは私の感情で、私の意志でさえ少ししか関与できないのに、なんで他人が命令できるというの、そんなこと命令されて聞かなきゃいけないんだったら野垂れ死んだほうがましだね。火をつけろ、と彼女は言って笑った。火をつけろ、と私も言って、笑った。