傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

烙印の取り扱い

 出産した友だちと半年ぶりに会うことが決まる。難産だったと聞いていて、けれどももうすっかり元気だと本人からのメッセージのには書かれている。だいじょうぶかなと私は思い、それから、本人に任せようと思う。彼女に家にいてもらって私がそこを訪れてお粥を食べさせていたら私は安心だろうけれども、そんなの私の安心のためだけのことだ。何たべたいと尋ねると驚くべき早さでパンケーキと返ってきた。打つのが早い、と私は思う。スマートフォンのメッセージがリズミカルに増えていき、あっというまに店と待ち合わせの時刻が提案される。いいのかなと私は思う。本人がそうしようというのだからいいのだろうと思う。
 当日そう言うと彼女は空っぽになった皿を満足げに眺めてから、それでよろしい、と言った。出産した女は甘いものを食べてはいけないというのは都市伝説。すべての産婦に押しつけるような科学的根拠があるものではない。私は犬みたいな顔してほうほうと聞く。小型のパンケーキをこれ見よがしに高々と盛りつけた皿はやや私の手に余り、それを見て取った彼女はくるりと皿を取り替えて私を安心させる。そうだサヤカって大食いだけど甘いものは大量に食べないんだよねと彼女は言う。ごめんごめん、自分の欲望に忠実になりすぎた。私は笑ってそれを否定する。それから妊婦や産婦に関する禁止事項について考える。たくさんあるなと思う。子を産んだことのない私でさえたくさん思いつくし、そのなかのいくつかはあきらかに根拠が薄いこともわかる。都市伝説を信じている人からうるさく言われたりするの、と尋ねる。彼女は愉快そうに笑い、日常日常、とこたえる。
 すごいよ、あれはもう宗教だね、正しいことを教えてあげてるんだからっていう、守らないのは罰当たりだっていう、なんなら卑しい蛮族だっていう、そういう態度。甘いもの食うな、なんて、まだかわいいほうだよ。無痛分娩と帝王切開は「一段下」みたいな扱いだし、生まれてからは何がなんでも母乳、母乳が出ないのは不完全な母親だといわんばかり。そばにいる時間は長ければ長いほど良くて、自分の楽しみのための外出はわがまま。仕事をせざるを得ないのはかわいそう。
 そんなもん親と子の状態と考えかたによるだろっていう理性はないの、信仰だから自分がとにかく正しいって思ってるの。下手すると高齢出産も「若いうちに産んでおかなかったわがまま」だからね。そこまで極端じゃなくても、母親としての良いおこないはこれだ、という教義を持っている人は多いよ。自分の信条としてではなく、母親全般について。そして子どもを産んだ余所の女にそれについて説教する権利があると思っている。母性本能という都市伝説か代表的だね。母親を人間じゃない聖人にするための聖書の一節なんだ。
 あのね、サヤカちゃん、卑しい側に人を分別することを差別と私たちは呼んでいるけれど、尊い側に分別することだって差別なんだよ。母は強し、母は尊し、母はこんなにも立派で、母はこんなにもすばらしい。だからこんなことはしない、あんなことはしない。カテゴリに押しこめて個人を否定することが差別でなくてなんだろう。
 私は、人間だから、そんなものに従わない。私が調べて私が相手を選んで相談して私が決める。あるいは私と夫が。私は仕事をして自分を食べさせて子どもを半分食べさせる。夫になにかあったらぜんぶ食べさせるよ。保育園に預けるのはかわいそうじゃない。私が今日友だちと遊んでるのは「理解ある旦那さまのおかげ」「旦那が甘やかしている」んじゃない。親がふたりいて協力関係にあって、その結果、双方が外出できるということだよ。私は、知らない人間たちが私に勝手に貼った烙印になんか従わない、私は、あるべき母親なんかにならない、私が思う良い母親になる。私が思う良い母親は母親でない部分の私を苦しめない。
 私はため息をつく。私の知らないあいだにこの友だちがどれほどいやな思いをしてきたのか想像する。それから言う。私は、子どもがいないから、一緒に烙印をはねのける戦いを展開することができない。でもできることがあるといいな。あるかな。あるよと彼女は笑う。サヤカさっき、本人がそうしようと言うからいいんだろうと思ってここに来たって言ってたよね。それは正解だって私、褒めた。それがあなたのできること、私のとっても嬉しいことだよ。私の判断を尊重して、私の背中にべっとり捺された烙印を無視してくれること。ごく普通のこととして、そうしていること。うん、今日は昼間だったけど、今度は夜に出てくるからね。一緒にお酒のもうね。