傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

2014-01-01から1年間の記事一覧

同情と投影の作法

誰かが何か言う。別の誰かが別の何かを言う。遠くから大勢の声が聞こえる。てんでばらばらに勝手なことを言っている。あれを選ぶとひどい目に遭うよ。これを選ぶと人生失敗するよ。そっちを向いたらみんながきみを軽蔑するよ。無駄なことをしちゃいけない、…

パーフェクト・ウーマン最後の課題

可愛いねえと言うとありがとうと彼女は言った。でもそれ見本のまんまなの。見本のまんまにできるなんてすごいなあと私は感心してしまう。そもそも保育園の子の持ちもののすべてを手作りして刺繍まで入れるなんてすごいし、子どもを産んでいることもすごいし…

アルコール依存症気味の薔薇

華やかで大輪の感じがするので薔薇のような人だと評していたら当の彼に笑って女の子じゃないんだからと言われた。あるいは男同士のラブ的な。彼の説明がわからないのではなかったけれども、私は自分の用法にだって自信を持っていた。単独の成人男性を薔薇の…

優秀と有能と勤勉のための税金

連休はどうだったと尋ねると泣かしたと彼女はこたえた。祝日の午さがりのレストランのテラスで母親と妹を泣かした。それはまた。私は意味のないせりふで時間を稼いで考える。なんでまたそんな派手なことに。彼女は眉を上げる。べつに泣かそうと思ったんじゃ…

オオカミたち

待ち合わせに遅れるという連絡を受けてひとりで本を読んでいるとごめんねえと言いながらちっとも罪悪感のないようすで彼女はあらわれた。そうとう上等ではてしなく地味なスーツ、匿名的な時計、そのほかのアクセサリはなし。そんなはずはないのにモノクロー…

インドの道端で車の修理を待っていた話

インド行こうよインドと彼が誘うと妻はかぶと虫を観察するみたいな目で彼を眺めまわし、行かない、とこたえた。半年ほぼ休みなし、お正月休みが二日間だったあなたとちがって、私は半月も休み取れないの。二、三日でもおいでよと彼はなお誘ったけれども、三…

王子さまとお姫さまの犯行

死体みたいだ。寝ぼけた頭でそう思ってそれから、めがねのせいだ、と気づく。めがねをかけてまっすぐ上を向いて目を閉じているから死体。男の死体。カーテンの隙間から光は漏れていない。まだまだ夜だ。そう思ってまた眠る。隣の死体はもちろんほんとうには…

ヴァイオレント・ケア

ごめんなさいねえとおばさんが言う。うちの子がいまだにお世話になって。私は首を横に振る。美味しいものが口のなかにあるので話すことができない。大学生の時分、おばさんの子の家庭教師をして、毎週ごはんを食べさせてもらった。その代わりといってはなん…

「優雅な生活が最高の復讐である」

久しぶりにおばさんの家に行くことになった。おばさんというのは叔母さんではなくて、伯母さんでもなくて、赤の他人だ。十代の終わり、ファミリーレストランでアルバイトをしていて、それで知りあった。私は皿を運び、彼女は皿を洗っていた。おばさんの家は…

三角形の地獄

そういえば最近とてもいい文章を読んだんだ。へえ、なあに、私は文章が好きだよ。知ってる、でもあれは槙野、あんまり好きじゃあないと思うな、達者だとは言うんだろうけど、たぶん読んでる、ほらあの、マンガ家を脅迫した犯人の陳述。あれかあ、読んだよも…

弱者の服毒

泣いてごめんね、と彼女は言った。不愉快にさせてごめんね。自分の声が遠いところから聞こえた。頭蓋の中で反射しているはずの声が遠くから聞こえている気がするのだ。涙は止まり、声は平板になり、視界から立体感がうしなわれて、からだに当たる衣類の布が…

弱者の毒薬

男の人が泣くのを見たのははじめてだったから、少し驚いたけれども、いやではなかった。かわいそうで心が痛んだけれども、自分に心を許して甘えてくれるのは少しうれしかった。落ち着くまで頭を撫でてあげるのが好きだった。そんなにしょっちゅうではなくて…

だいじょうぶオールド・ボーイ

ごはん行きましょう。なるべく明るい声で私は言う。性根が陰鬱なのを隠して明朗にふるまおうとするとばかっぽくなるなあと思う。職場での私は常時そんなふうだ。他人にはなるべく当たり障りのない印象を持ってもらいたいと思う。みんなそう考えてほがらかな…

腫瘍を引きずり出す

文章は上手くなくて良い。上手いなら幸いだけれども、特別に上手くなくても書きたければ書いていいのだし、書くのはたのしい。それだからみんな作文するといいですよ。そういう主旨でものを書くワークショップがあった。あった、というのは文字通り主催が他…

“ 傷害雲雀、殺人ちゆりっぷ ”

ご足労いただきましてと目の前の男は言った。彼の訪れた小さな会社の社長だということだった。紙のような、と彼は思った。スーツも皮膚もどこか乾いた、今朝出してきて夜には捨てるもののような感じがした。お時間いただきましてと彼は返した。下げた頭から…

花と毒きのこ

大学に入った年、教養の授業でテントを張って寝た。農学部が提供する集中実習で、夏休みに泊まりがけで農作業を体験して単位を得るというものだった。楽しそうだから取ってみたら女子学生は私ともうひとりしかいなかった。ガールズ、と老教授が言った。昼間…

足を踏み入れる

彼は人に気に入られるのがとてもうまい。彼は感じがいいとみんなが言う。彼は高価な輸入車を売っている。同じ立場の社員たちと比べて、おそろしくたくさん売っている。彼は車がほしい男たちに気に入られて、気持ちよく高価な買い物をしてもらう。ほとんど会…

イミテーションからの帰還

顔がちがう。そう言うと彼女は可笑しそうに、化粧だよとこたえる。まじまじと見る。やせた。重ねて訊くとそうかもしれないねえと、おとぎ話を語る老婆みたいな声を出す。質問のかわりに顔を見ていたらもう一度笑って彼女は、なにもない、と言った。どちらか…

後ろめたさへの生贄

仕事を終えて身支度しながら携帯端末を取り出すとメッセージが入っている。冬だからサーカスに行こう。藤井とのメディアを使った会話は、かたちを変えながら、もう二十年ばかり続いている。毎月食事をしているのにそのうえ何を話すのと誰かに笑って訊かれた…

空気を壊す

お酒の席で人に対して大声を出したら罪かなと彼女は訊ねる。犯罪という意味ではきっとない。そう思って私はこたえる。迷惑だね、内容によっては暴力に近い。彼女は小さい声で話す。ねえ、場の空気を壊すのを恐れて無難にそれを見なかったことにするなんて、…

機嫌のいい犬のための技術

お母さんと赤ちゃん、女の子、私。飛行機の席はそのように配置されていた。もちろん知らない家族だ。赤ちゃんはふんふんというような小さい声を出して、お母さんもひそひそ声でこたえている。女の子は幼稚園児といったところか、なんだか思いつめたような顔…

胡桃の中のふたり

最近うちに来ないねえ。そう言われて、私はあいまいに笑う。彼女は私を見る。古いつきあいで、共通の友だちもみんな古くから一緒だったけれども、彼女が結婚してからというもの、職場でできた友だちや妹まで紹介されて、最近の飲み会はずいぶんとにぎやかだ…

それを擬似的に手に入れるための二つの方法

骨、と彼女は言う。ここの骨が出ているのは普通じゃあないのよ。指がわたしのその、意識したことのなかったラインをなぞり、離れる。口をあいて上を向いてこのうえなく無防備な、銃口をくわえて殺されるのを待つ人みたいな顔を、わたしはゆるゆると常態に戻…