傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

彼女の誤りを聞きに行く

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのためにわたしがこの友人に会うのは二年ぶりである。このたびはどうしても対面でこの人に話を聞いてもらいたくって、機会をつくった。

 わたしはろくでもない家庭で育ち、家を出て十年以上たつ今でも母親に執着されている。手紙を無視していたら、とうとう自宅にあらわれた。
 母親はわたしの戸籍の附票を取り寄せることでわたしの住所を把握している。もしこれを防ぎたければ自治体に過去の被害を申し出て閲覧制限をかけてもらえばよい。しかしわたしはインターネット上で所属がわかる職業に就いている。自宅に押しかける人間は、自宅がわからなければ職場に突入する。それなら自宅のほうがましである。

 わたしはその話をする。彼女はわたしの成育歴をある程度知っており、わたしの親に腹を立てている。彼女は深刻な顔で話す。

 執念深いね。戸籍の附票をしょっちゅう取ってる段階でストーキングだって思わないんだろうか。よくそれで社会生活が成り立ってきたと思う。
 手紙を送り続けるのも異常だけど、なぜ今になってあらわれたんだろう。ネットであなたの仕事を知って、自分にもおこぼれがほしいと思ったのかも。金をたかられてもぜったいにやっちゃだめだよ。
 他のきょうだいにも見捨てられておかしくなったという可能性もあるな。弟さんは甘やかされて特別扱いされていたということだけど、甘やかすのは愛情とはちがう。大人になってそのあたりに気づいたら親を嫌いになって離れるんじゃないかな。そういう状況なら、先にいなくなった娘がよけいに惜しくなって、手紙じゃがまんできなくなってわーっと家に来るのもわからなくはない。いや、わからないけど、きっかけとしては理解できるというか。

 わたしは彼女の話を聞く。彼女の話はおそらくすべて間違っている。
 わたしの母親は明確な目的をもってそれを達成するために努力するといったことができる人間ではない。そもそも自分の欲望をわかっていない。「稼ぎのよさそうな娘からむしりとってやろう」というような明確な考えを持っているとは思われない。とても漠然とした、「自分は娘を経由して何かしらのいい思いをするべきだ」という感覚がある、という程度だろう。そしてその感覚はとてもとても強く、自然法則のように感じられていることだろう。
 毎月戸籍の附票を取り寄せるという行動が異常だという自覚もないはずだ。そんなことをしないと住所を把握できないことに漠とした被害感情を持っており、それは不当だという感覚を持っている。おそらくそんなところだ。自分が加害者だというのは彼女にとって娘による「誤解」「思い込み」にすぎない。でもそれを正そうとしても娘は屁理屈をこねるばかりなので(わたしの母親はこの屁理屈という語を好きで、わたしが子どものころによく使った。わたしの発言のうち母親にとって都合のよくない話をさす)、母としてやさしく見守ってやるしかない。ーーそういうようなことを、もっと漠然と思っているのが、わたしの母親である。そういう人間でいつづけているからストーキングをするのだ。
 わたしの弟が自分の育ちに批判的になる、というのもわたしには想像しにくい。弟は母親とよく似ていて、すでに起きていることは「そういうもの」として、「当たり前」の世界に生きる少年だった。成長して突然目覚めた可能性もあるが、わたしはそのあたりに関心を持てない。わたしにとって弟とは、親が死んだと連絡が来たら家庭裁判所相続放棄してその旨を連絡する相手である。それ以外の感情は斜めにしても逆さにしても落ちてこない。

 だからこの友人の話はおそおそらく全部間違いである。
 しかしわたしはその間違いを聞きに来たのだ。女の子どもを人間として扱い、過度な家事労働や男親への媚びを強要せず、暴言を口にせず暴言に同調しない家庭で育った、同世代の女の解釈を。彼女は親の残り物を皿に載せられたことがなく、親の下着を手で洗うよう仕込まれたこともなく、ゴミ箱のゴミは素手でひとつかみずつゴミ袋に移動するものだと思い込まされていたこともない。要するに「身分制度」のない家庭で育った人である。
 そういう人はこう思うのだ。悪行には理由や目的がある。社会生活を送っている人間は自分の行動がおかしいかおかしくないか判断できる。大人になれば過去の経験を見直すことができる。

 この世界がそんなだったらどんなにかいいだろうと思う。わたしにはない、美しい発想だと思う。だからわたしは今日、この人に話を聞いてほしかったのである。