傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

お帰りなさい、と母は言う

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのためにわたしの生活パターンは大きく変化した。フルリモートのちフル出社、あれこれあって、週に二回のリモートワークが定着した。
 家を出て駅に向かう途中、しばしば同じ人物とすれ違う。同じマンションに住んでいて朝晩犬を散歩させている人は以前から見かける。隣の商店はわたしが前を通るタイミングでシャッターをあけることが多い。マンションの前で休憩しているらしき高齢女性、保育園に向かって自転車をこぐ若い父親。彼らも以前は見かけなかった。疫病禍が長引くにつれてその中で生活のパターンが固まったのだろう。

 ちょっといいですか。
 同じマンションの犬の飼い主がわたしを追いかけてきて、言う。大丈夫です、とわたしはこたえる。出社の時間には少々余裕があるので、と付け加える。飼い主は言う。朝よくマンションの前にいる人、いつも黒っぽい服装の白髪の女性、お知り合いじゃないですよね。
 いいえとわたしはこたえる。飼い主は言う。

 あの人は一年くらい前からよくマンションの前にいるんです。それでね、最近は火曜日と金曜日にいるんです。これってあなたの出社日なんじゃありませんか? やっぱり。
 ええ、わたし毎朝、犬を散歩させてるんですけど、あの人、以前はもっとしょっちゅういて、散歩に出る時間にも散歩から帰る時間にもいたんです。おかしいでしょう、一時間以上も立ってるなんて。すぐ横の公園、あそこはベンチがたくさんあっていい休憩スポットなんです。休憩が必要にしたってうちの前に突っ立ってるのはおかしい。恰好だって、今みたいに気温が上がる前からつばの広い帽子をかぶっていて、人相がわからないですからね。それで警戒してたんですよ。
 そしたらここしばらく、特定の曜日にだけマンションの前に立つようになったじゃありませんか。そしてその曜日には、わたしはあなたをお見掛けするんです。だから今日お声がけしたんです。

 出社しながら考えた。会社に着いたとき、気づいた。
 マンションの前でわたしを待っているのは、たぶんわたしの母親である。

 わたしは子どものころ、母親に殴られたり罵倒されたりしたのではない。彼女はただわたしを自分の延長のように扱った。母親は男(わたしの父親)に傅くために生きているような人物であって、わたしをも父親のために活用しようとしたのである。わたしは家事労働一切のほか、男というものの「下」であることを教育され、「下」としての役割を生活のすべての場面で仕込まれた。
 だからわたしは逃げた。両親を人生から排除した。そして男に傅かない人生を構築した。
 母親はまったく納得しなかった。「親子の縁は切れない」という意味内容の手紙が定期的に送られてきた。住所などもちろん教えていない。毎月戸籍の附票を取っているからどこに引っ越してもわかるのだと、手紙には書いてあった。
 わたしはそれを無視した。手紙はきっちり一か月置きに届き続けた。最初の一年くらいでわたしはそれを開封しなくなり、やがて迷惑なチラシと同じくらいの存在になった。
 そういえばあの手紙はここ一年ほど届いていない。指折り数えたら、わたしが両親と完全に連絡を絶って今年で十一年になる。ということは、母親は十年間手紙を送り続け、それをやめて、おそらく物理的に姿をあらわすことにしたのである。
 無視しようとわたしは思った。ストーカーに反応したらいけない。出社日の朝には少し憂鬱になったが、極力気にしないようにした。わたしはとにかく両親にあらゆるリソースを割かれないことを目指して自分の諸々を鍛錬してきたのである。
 しかし、出社日ではない日曜日、夜中に帰宅したとき、驚くほどすばやく「それ」が物陰からあらわれた。そしてわたしに触れんばかりの位置に寄って、言った。お帰りなさい。
 ねばついた声だった。

 ぎゃあああ、と友人が言った。ホラーじゃん。超ホラーじゃん。なんでその日にかぎって夜中にいたのよ、「それ」。もう「お母さん」とか言いたくないよ。
 なんでって、とわたしは言う。十年間「我慢」して「努力」したから娘に会えてしかるべきだと思ったのかな。そしてその日曜日はね、よく考えたら、母の日だったんだよ。自分は母親だから母の日にいいことがあるべきだとでも思ったんじゃないの。あの人の思考回路はそういう感じなんだよ、もうあんまり詳しく覚えてもいないけどさ。うん、無視したよ。
 それに今はもう出てないよ。同じマンションの、例の犬飼ってる人が声かけたら逃げたらしいよ。まあ戸籍の附票は毎月取ってるだろうけど。