傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

呪いをかけられなかった娘

 三十歳前後からまわりの女たちの半分くらいが変な感じになった。結婚するとかしないとかできないとかしたくないとか、そういうことをやたらと言うようになった。わたしは全員に「そお」とこたえた。そんなの好きにすりゃあいいじゃんねえ、と思った。日本における結婚は自由意思に基づく契約行為である。契約内容は民法で決まっていて、その効力は当人二名のあいだに及ぶ。それから養育される子どもや相続が発生しうる親族には関係がある。でもそれ以外にはまったく関係がない。どうして契約主体でない他人の結婚をとやかく言うのか。まして友人の結婚相手なんか完全にどうでもいい人である。そんなのをやいやい話の種にするなんて変だなと思った。

 結婚しないのかとわたしに訊く友人もあった。わたしは何も考えず「しない」とこたえた。どうしてと問うので「必要ないから」とこたえた。あれはないわ、と同席していた別の友人があとから言った。あれは嫌われるわ。

 なにが「ない」のか知らない。知らないが、わたしを嫌うのであれば会う必要もない。生きていれば誰かに嫌われたり好かれたりする。そんなのはしかたのないことである。でも少し気をつけようと思った。よぶんなことは言わないようにしようと思った。

 三十代終盤にかかると今度は子どもがいるとかいないとかキャリアがどうこうとか生活ぶりがどうこうとか、そういう話をよく聞かされるようになった。わたしは全員に「そお」と言った。みんなおたがいのことをよく知っているみたいだった。SNSで見ているのだと誰かが言った。どうしてSNSをやらないのと誰かがわたしに尋ねた。わたしは「必要ないから」とこたえた。それから、しまった、と思った。十年たってもまったく成長していない。わたしには理解できないが、自分が必要としているものを他人が(たとえばわたしが)必要としていないこと、それをはっきり言われることを嫌う人が世の中にはいるのである。わたしはそれを十年前に理解したはずだったのだ。そして気をつけようと思ったはずなのだ。忘れていた。

 友人が勉強しなさいと言って本をいくつか貸してくれた。そこには「女はきれいでいなくてはならないというのは呪いです」「女だから料理ができなくちゃ、家をきれいにしていなくちゃ、というのは呪いです」「女に生まれると自信がなくなるようなしくみがこの世にあるのです」「女たちよ、呪いから自由になりましょう」というようなことが書いてあった。つまりさあ、と友人は言った。あなたはここに書かれている「女」じゃないのよ。だから呪われし女たちがあんたを見て腹を立てるのよ。女のなりをしているくせに「女」じゃないから。

 わたしは戸籍も性自認も女性である。女ものの服を着て化粧をしている。でもわたしは「女」じゃないのだ。呪いがかかっていないから。どうしてかしら、と友人が訊く。どうしてあなたには呪いがかからなかったのかしら。それはねとわたしは言う。わたしには魔女がいなかったからですよ。

 「女」たちに最初に呪いをかけるのは両親である。わたしの世代が子どもだったころ、子育てはほぼ母親に丸投げされていたから、最初の呪いをかけるのは多くが母親だった。母親たちは「よい女の子」を育てようとする。かわいくて愛されて選ればれる、きちんとした女の子を育てようとする。それが昨今「呪い」と呼ばれているものの内容なのだと思う。すなわち、母親は魔女、娘は姫、そして魔女はかつての姫である。

 わたしには魔女がいなかった。母親はいたけれど、彼女には魔女になる能力がなかった。「どんなひどい親であっても子どもは親の愛を求める」という言説があるが、あれは嘘である。わたしは自分の親みたいなのに愛されてもしょうがないと思っていた。わたしの母親はわたしにカネのかかることを禁じ、延々と家事をさせた。また、たとえば洗面や入浴のさいには洗濯かごにはいっている親や弟が使ったあとのタオルを使うようにしつけていた。それは家庭内の労働力を得てコストを下げるためだけのおこないではなかった。彼女はわたしに「身分」をわからせたかったのだと思う。わたしが十五歳になったころ、彼女は叫んだ。お母さんのことバカにしてるんでしょ! あんたはずっとそう! よくわかりました、とわたしは思った。よくわかりましたねえ、バカのわりに。

 だからわたしには呪いがかからなかった。「よい女の子」に育てようとして手をかける「よい母親」がいなければ、呪われた女は育たない。