傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

マスクつけなきゃいけないんだよ

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために娘の小学校生活はマスクや分散登校とともにはじまった。親は、それはそれは、それはもう、たいへんだった。疫病禍のほか、いわゆる小一の壁・小二の壁がある。わたしのまわりで親が仕事を中断したり辞めたりせずに済んだのは強力な祖父母があった者だけである。
 そのような(親の)綱渡りを超え、この春、娘は三年生になった。毎日楽しそうに学校に行っている。行事などもそれなりにできるようになり、今年はもっと疫病前に近いかたちで期待している。

 当の娘にとって、疫病禍は気がついたら存在していた所与の環境のようなものであり、「保育園のときには誰もマスクをしていなかった」という記憶はあるものの、マスクをするのがイレギュラーな状況だという感覚はもはやないようだ。六歳から八歳の二年間はとてつもなく長い。大人の二年間とはわけがちがう。
 六歳から八歳といえばルールを守ることを教えこむ時期である。娘はよくも悪くも素直なタイプで、わたしとしては今は教育しやすくてラクだが、ルールの根拠や妥当性に興味を持ってほしい年齢になったら少々苦労しそうだとも思う。ともあれ今のところ娘は正義の子である。
 そんなだから娘はマスクの着脱に厳しい。道を歩いていてマスクをしていない人を見ると眉間にしわを寄せる。それを黙っているのもストレスになるようなので、夫が策を練った。他人のマスクについてあれこれ言いたくなったら親の手を握る、というものである。「あれはどうなんですか」なら二回、「よくないと思います」なら三回。親のほうは「あとで考えましょう」なら二回、「よくないですね」なら三回である。
 娘はひとまずこれで満足しているようである。娘はわたしの手を握る。きゅっきゅっ。わたしは彼女の手を握りかえす。きゅっきゅっ。
 娘の知的な発達は標準の範疇なのだが、わたしが思うに精神が年齢よりすこし幼くて、「いけないんだよ」という感覚を誰かに伝えてそれに同調してもらわないと、内なる葛藤(自分が学んだ基準で「いけない」ものが堂々と道を歩いていること)を上手に処理できないようだ。
 
 娘がたとえばニューヨークシティに行ったらものすごく驚くだろう。多くの人がマスクをしていないから。そしてそのほうが世界の都市としては標準的だから。でもわたしたち親は、少なくとも今は、「外国だともうみんなマスクしないんだよ」とは言わない。
 疫病禍において小学一年生(当時)の小さな頭に何を優先して詰めるべきかを検討したとき、わたしと夫は一致して「科学」とした。小学校の科目区分でいえば「理科」的側面を重視するということである。生命と健康が何より重要だから、まずは科学的な事実とそれに基づいた予防について理解してくれればよい、という考えだ。
 このときわたしたちが後回しにしたのが、科目名でいう「社会」である。たとえば、マスクは感染対策であると同時に社会的な合意を得た(近年まれにみる急ごしらえの)文化であること。日本ではそうした「マナー」がいわゆる同調圧力によって過剰になりやすいこと。自分はマスクを取ってもいいと考える人とそうでない人には、考え方だけでなく、背景や属性の違いがあることーーざっくり言えば「弱い」人間はより用心してマスクをするだろう、というようなこと。そこにはさまざまな権力関係が働き、理不尽に感じたとしても、実生活上はものを言わないほうが安全な場合もあること。
 そういう「社会」の教育については後回しにして疫病禍を過ごしてきた。

 そろそろですかねえ、と夫が言う。
 そろそろだと思いますねえ、とわたしはこたえる。
 気が進まないけれど話さなければならないことがあるとき、わたしたちはなぜだか敬語になる。
 この春、政府は「屋外で会話しないならマスクは不要」という通達を出した。科学的には最初からそうなのだが、社会的にはとにかくずっとつけていろ、ということになっていた。それを緩和するようにという、そういう通達である。
 屋外に出る。マスクを完全に外している歩行者は稀である。しかし鼻マスクやあごマスクは散見される。人が一メートル以内に近づくとさっとかける者もある。あの人だって「口をきかないならかける必要はない」くらいは知っているだろう。でもかけるのだ。たぶんより安全に過ごすために。
 これからじわじわと路上でマスクをしない人が増えていくだろう。だから娘に疫病の「社会」の側の話をしなくてはならない。夫もわたしもそんなこと上手にできる気がしない。しないけど、やるしかないんだよなあ。