傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

プリキュアになれなかった女の子

 世のため人のために働くんだと思っていた。わたしは無邪気な自信家だった。将来はずっと口を糊することができると信じていて、それ以外の余剰があって、それでもって人に尽くすんだと思っていたのだから。高校生になっても、大学生になっても、なんなら社会人になってもしらばらく、その夢想を保持してた。ばかみたいだと自分でも思うけど。

 ばかみたいでしょう。でもわたしの育った環境ではそれをばかにされることがなかった。外資系でがんがん稼ぐんだとか、すてきな異性にもてたいとか、そういう人もいたけれど、同じくらい、世のため人のため身を粉にするぞと思っている人もいた。その幼い夢をかかげて、わたしはある省庁に入職した。ばかみたいでしょう。ねえ。

 わたしには人生の足踏みが少なかった。浪人せず、留年もせず、最短ルートで就職した。努力は必要だった。その努力の目的はもちろん世のため人のためだった。わたしは子どもだったと思う。自分はがんばれば正義の味方になれると信じている、子どもだった。

 わたしは就職して一年でぼろ雑巾みたいになった。体力には自信があった。精神力にも。でも問題はそういうことじゃなかった。そもそも大きな組織には新人の精神をぼろ雑巾にするシステムがそなわっているのだ。そうでなければよい歯車にならないから。わたしはようやくそのことを知った。それでもわたしは「正義の味方」になりたいままだった。よい歯車のそぶりをして、内部からこの組織を変え、そうして世の中を良くするんだ、などと考えた。わたしの思い上がり、わたしの幼い夢は、だからけっこう長持ちしたほうだと思う。

 わたしの精神はしだいに平たくなった。継続的な多忙と強制される理不尽な慣習は人間を鈍くする。こんなことやっていても世の中は少しもよくならないし、なんなら自分たちは嫌われていると、わたしは遅まきながら気づいた。わたしは人を助けてありがとうと言われたかったのに、そのほかにはなにもいらなかったのに、人々はわたしのことを、不当に恵まれた、ずるいやつだと思っているみたいだった。わたしは大量の書類をめくる途中で不意にそれに気づいてしまった。A4のコピー紙が指にはりついたことを覚えている。書類を汚してはいけないから慌てて手を離し、反射的にハンドタオルで拭いたことも。あまりに疲れていて、ハンドタオルを毎日洗濯できていなかったことも。その布きれがものすごく汚く感じられて、衝動的にゴミ箱に捨ててしまったことも。

 職場を見渡す。同僚はたくさんいた。でも仲間は見つからなかった。優秀なあの人も、評判のあの人も、ヒーローになんかなりたくないみたいだった。天下りしていい目をみてやろうと思っていることさえ珍しくなかった。そんなのどう考えたって悪役じゃないか、とわたしは思った。それから、彼らのようにならないルートを具体的に想像できないことに気づいた。

 わたしは愛されたかった。子どものころから優秀だと言われて、その優秀さは世の中に貢献すべきためのものだと思って、すごくすごくがんばって、私欲のために道を曲げたりしないで、そうしたら世界から愛してもらえると思っていた。いっしょうけんめい働いて、ときどき誰かから「ありがとう」と言われたかった。でもそれは見果てぬ夢で、わたしはただの、いけすかない、エリート気取りのばかだった。

 そのようにしてわたしは職を辞した。わたしは堅実だから、もちろん民間企業に次のポジションを見つけてから辞めた。あとから聞いたところによると、非人間的な激務のさなかにある人間はかえって転職をしない傾向にあるのだそうだ。転職活動のためのエネルギーが残っていないから。だからわたしがどうやって時間と労力を捻出したのかと、幾人かに訊かれたけれど、自分でもどうやったのか覚えていない。疲労によってだらしなく広がった毛穴から生命力がどろどろ抜け落ちていくのを手ですくって舐めているような生活だった。その疲労を上回っていたのは失望だったと思う。わたしがヒーローじゃなかったこと、ヒーローへのコースが見えないことに対する失望だった。

 わたしは老婆のような心持ちになっていた。まだ三十にもならないのに、あとはもう余生なんだと感じた。転職してから毎晩、家に帰って昔のアニメを見た。小さいころに好きだった、女の子が戦うアニメを繰りかえし見た。それからようやく泣いた。在職中は一度も泣くことができなかったのだ。