傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

影を買う

 今年のクリスマスの準備は手間取った。

 わたしの家のクリスマスは二十四日の前の週末だ。わたしが小さいときからそう決まっている。土日のどちらでもいいんだけれど、母が買い出しや料理をする時間を確保するためか、日曜日が多かった。父はだいたいいなかった。父は仕事が忙しいのだということだった。小さいときからそうだったから、いなくてかまわない。

 母は三十四歳で死んだ。わたしが八つ、妹が六つ、弟が二つのときだった。それから三年間、お手伝いの人がおおまかな家事と弟のベビーシッターをして、それから、毎月のように叔母が来て、家のことをした。叔母は母の妹で、そんなに似た姉妹ではなかったけれど、それでも血がつながっていて、年の頃が近いから、雰囲気はそれなりに、ちゃんとしたおうちみたいになった。

 母が死んで四年目に叔母は結婚した。父はわたしに言った。もうおばさんにいろいろお願いするわけにはいかない。よその家の人になるんだから。お姉ちゃんがいるから大丈夫だよな。お姉ちゃんはもう大きいもんな。

 そのとおり、わたしはもう大きかった。何でもできた。ロボット掃除機を導入して料理を覚え、お手伝いの人の来る日数を減らした。全自動洗濯乾燥機で洗えないものはぜんぶクリーニングに出した。無限に使えるわけではないけれど、うちにはそこそこお金の余裕があって、わたしにはそれを使う裁量も与えられていた。わたしは、もう大きかったから。

 わたしにはサンタクロースもプレゼントも必要なかった。もう大きい。大人みたいなものだ。叔母なんか来なくていい。どうせたいしたことをしていたわけじゃない。ただ大人だというだけのことだ。大人の女の姿をして、メリークリスマスと言って、妹と弟にプレゼントをあげる。叔母にしかできない役回りは、要するにそれだけだった。わたしは、もう十二歳で、大人みたいなものだから。

 わたしは何でもできる。家のことはわたしが何でも。だからもちろんインターネットも使い放題だ。わたしはもう知っていた。この東京では老若男女、ほとんどあらゆるタイプの人間を時間買いできる。インターネットで探せば、たいていのことをやる人間がいる。わたしは生活費を少しずつ浮かせて現金を用意した。二時間三万円で交渉しよう、とわたしは思った。いいのが見つかったら三時間で五万円出す。そのカネは家に来て三人の子どもたちとクリスマスディナーを食べるという行為に支払われるのではない。「若く見える三十四歳」のように見える、身長百五十センチ前後、やや痩せ型の、しかし痩せすぎてはいない、髪の短い面長の美人、という属性に支払われるものだ。

 中身は求めていない。母のようにまじめで上品な人が、得体の知れない単発高額バイトに応募するはずがない。でもバカはだめだ。下品なのもだめだ。母でない、そして叔母ではないことが、二時間くらいは気にならない、そういう女が必要なのだ。大人の女の形をした影が。

 「候補」からのメッセージは意識して何往復かさせた。言葉づかいを見れば最低限の知性と品性がわかる。わたしは何人かを不合格にした。写真を送らせて、それでまた何人かを不合格にした。残ったひとりは念のため交通費を支払って「面接」した。悪くはなかった。わたしは家に帰り、弟妹に向かって、クリスマスにはわたしの友人の母親が来ると言った。

 妹は十歳、弟は六歳だけれど、ふたりともとうにサンタクロースなんて信じていなかった。母がいなくなって以降、うちには子どもが寝ているあいだにプレゼントを置くような余裕はない。プレゼントはただ叔母が持ってくるーー昨年までは叔母が、今年はその身代わりが。わたしは弟や妹と一緒にプレゼントをもらう役をやる。あげる役はできない。それだけがわたしにはできないことだった。

 女は定刻にやってきた。指示どおり、大げさでない、しかしこぎれいな服装と、同じく大げさでない表情をしていた。悪くない、とわたしは思った。おばさん、とわたしは言った。女はにっこりと笑った。

 「おばさん」はうまくやった。わたしは駅までおばさんを送ると言って家を出た。自宅からじゅうぶんに遠ざかったところで、本日はありがとうございました、とわたしは言った。報酬の入った封筒を差し出すと、「おばさん」はちょっと笑って、あのねえ、と言った。おばさんね、よかったらまた来年も来ましょうか、ほかの行事でも、都合が合えば来ますよ、ね、お金はいらないの。

 わたしは女に封筒を投げつけた。ばかじゃないだろうか。影のくせに。そのまま口もきかずに帰った。女は追いかけてはこなかった。