傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

バグ対応にストーリー

 何かから逃げている。何かはわからない。でも逃げている。そのような感覚をずっと持っている。物心ついてからずっとある気がするけれど、強くなったのは高校生のころだった。そのころから、「逃げている」という感覚にとらわれると生活できないとわかっていた。だって、何から逃げているのかわからないのだ。

 思春期だからな、とそのときは思っていた。世間でも思春期は不安定だということになっているし、ものを読むかぎり、ほぼ病気みたいな感じなので、自分の焦燥感も思春期のせいだろうと思っていた。授業を受けていても誰かといても楽しくしていても寝てもさめてもわたしはつらく、そこから目をそむけることが活動のエネルギーだった。授業に集中しないと、人との会話に集中しないと、「あれ」にとらわれてしまう。

 一度だけ母に言ってみたことがある。お母さん、お母さんが高校生のころってどうだった、すごく苦しい焦りみたいなのなかった。地獄のように迷って焦っていたわよ、と母は言った。それを聞いてわたしは安堵した。なんだ、思春期はみんな地獄なんだ。

 でも思春期のせいではなかった。大学生になっても就職しても、そのあと十年ちかく働いても、わたしの焦燥感はなくならなかった。それはちりちりと胸を焼き喉を焼いた。甘さみたいなものはかけらもなく、大切なものが呼吸ごとに口からちらちらと漏れているかのような感覚なのだった。わたしはその正体をどうしても突き止めることができなかった。わたしは格闘し、そしてあきらめた。だって、仕事があるし。

 だからわたしは仕事熱心だった。仕事はいい。仕事だからしかたないという言い訳は最強だ。もしもわたしが男ならずっと仕事をしていたと思う。でもわたしは女だったので、仕事だけしているとやいのやいの言われるのだった。そんなのは性差別だけど、わたしは現実的な人間だから、いい人を見繕ってプロポーズして結婚して基礎体温をはかってうまいこと妊娠して子どもを産んだ。夫はあまり手のかからない男だけれど、一緒にいればそれなりに気を張ったり気がまぎれたりするし、妊娠はものすごくしんどかったし、子どもはとにかく手がかかるものなので、わたしは例の焦燥感を忘れる手段をいっぱい手に入れた。

 もちろんそのあいだもブルドーザーみたいに仕事をつづけた。直属の上司から「雑で丈夫で長持ち」と言われ、しょっちゅう小言とともにパワーポイントを修正されながら(上司はものすごく細かい)、どかどか片づけてその一部で成果を出した。家庭でも同じようなもので、とにかく荒っぽくスピーディにタスクを消化した。わたしの干した洗濯物はしわしわで、夫の干した洗濯物はぴしっと美しいのだった(夫はものすごく細かい)。子どもが泣くとわたしは焦り、でもその焦りは回答のある焦りなので、苦しいものではないのだった。

 わたしはそのようにして目を逸らしつづけた。お風呂に入って歯をみがいているとき、子どもが感じのいい寝息をたてているとき、夫がわたしのスーツのほこりを取りながら家電の買い換えの話をしているとき、職場の繁忙期が終わってすべての書類を出し終えたとき、美容室で「おかゆいところはございませんか」と言われて「ありません」とこたえるとき。心が弛緩した瞬間、目をそらし続けていた毒の塊のような焦燥感がわたしの胸を塞ぎ、喉に詰まる。ああ、わたしは、ずっとずっと、逃げている、ほんとうはいけないことをしている。そう思う。鼓動がいやな感じで早まり、心臓に毒を仕込まれたように感じる。吐き気、まぶたの裏の不快感、喉の中に何かある感じ。

 わたしは友人にそのような話をする。友人はのんきにわたしを見て、あのさあ幸せ、と訊く。わたしはうなずく。幸せだよ。そうだろうね、と友人は言う。

 幸せっていうのはさあ、だいたい怖いもんだよ、気持ちの悪いもんだよ。どうしてって、まああれだ、生きてたら死ぬじゃん、だから怖いんだよ。幸せだったらよけいに死ぬの怖いでしょ、楽しい人生が過ぎていくのが怖いでしょ。うん、そういうストーリーはどうかしら。まあなんでもいいんだけど、なんか理由つけたほうがいいんだよ。人間にはさ、たまにバグがあってさ、理由のない恐怖が消えなかったりするんだよ。あなたのそれ、たぶん一生消えないよ。でも弱くできるから、だいじょうぶだよ。がまんできなかったら言いなね、その都度、てきとうなお話をつくってあげるから。