傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

2016-01-01から1年間の記事一覧

「普通」審判への異議申し立て

マキノさんのとこは女子が優秀だよね。あー、成果出てますよね。やっぱりリーダーが女の人だとやりやすいのか。うちの会社もね、もっと増えるといいですよね、あとに続いてくれると、うん。ええ、たしかに。ねえ。あとは彼、ほら、二年目の。山田くんか。そ…

犬は老いても撫でれば喜ぶ

いいよ、と彼は言う。苦笑している。子どもじゃないんだから。彼女は適切な返事を思いつかず、あいまいに笑う。手の位置なんて、ふだんは意識しない。だからすこし困って、だらりと垂らした。子はちかごろ夜に起きることがない。うちの子はもう赤ちゃんじゃ…

目明きの恋

彼、才能ないから。友だちが言い切って、私はははあ、とへんな声を出す。それからなんとなく左右を見る。どうしたのと彼女が言う。私はもぞもぞと訊きかえす。いや、なんていうか、あなた、彼のこと、好きなんだよね。彼女はうなずき、それから眉を上げて言…

私のためにほほえまないで

職場の上長は有能であってほしい。それはもちろんのことだけれども、恐れ戦くほど有能じゃなくてもいい、私は思う。有能さと機嫌のよさの総計が高いほうがいい。どんなに有能でもやたらと不機嫌な、情緒の安定していない人のもとでは働きにくい。そう考える…

泣き虫、けむし

いつも笑われていた。だから物心ついたときには、隠すことに力をそそいだ。誰にも見られないところで、ひとりきりで、這いつくばって手早く済ませる。僕は早くから、そうしなければならないことを知っていた。嘲笑の要因をなくすことはできなくても、隠す技…

寄付への欲望

個人が個人にカネをやるのは精神的に負担が大きい。もらうほうにとってもあげるほうにとっても、なかなか危険なおこないだと思う。そう、あげるほうにとっても、実は負荷のあることだよ。自己評価が下がることもある。え?うん、まあね、あるよ。生きてれば…

人にカネをやるとはどのようなことか

彼はたいそう軽蔑したまなざしで私を見下ろし、キモ、とつぶやき、それから、やるの、と訊いた。エサ、やるの。私は先ほどから地面にかがみこみ、でれでれと猫をなで、気味の悪いことばづかいで話しかけている。そのようすがキモいことはまったく否定しない…

飛び込み営業スクリーニング

最初は、電話とか要らないと思ってた。固定電話。要らないじゃん。僕は要らない。でもうちの会社には要る。ファックスもある。この業界でもいまだにファックス使う人が残ってる。だから固定電話なんかもちろん、ぜんぜん現役だった。自分を標準だと思っちゃ…

三十代の余生

交通事故に遭った。乗っていた車が凍った高速道路でスリップした。前後左右に大型のトラックが走っていた。制御をうしなった自動車の動きを後部座席から見た。その数秒のあいだ、運転手は前後左右をみてより助かる確率が高い方向にハンドルを切っていたのに…

向こう側からの会釈

死者が私に向かってほほえむ。私は、それに慣れている。ときどきほほえみをかえす。彼らはとても遠いところにいるから、とても小さく見える。消そうと思えば私はそれを簡単に消すことができる。けれども、そうしない。 なんの不思議もない。ネットワーク上に…

あたりまえの朝の通勤

電車の席に座っている。隣の男が頭を強く掻く。視界の端にこまかい何かが落ちてくる。私は身を縮める。できるだけ満員電車に乗らない人生を選んできたけれど、ときには他者の都合に合わせなければならない。目の前には人が詰まっている。立錐の余地をぎりぎ…

夜逃げの部屋

何年かごとに、他人あての郵便物を受け取る。開封はしない。私のじゃないからだ。受け取り拒否の意思を示して郵便局なりダイレクトメールの発行元なりにかえす。 ひとり暮らしでいつも賃貸で引っ越しをよくするから、引っ越してすぐは前の住民あてのなにかが…

悪い魔術

この人たちは今、機嫌が悪い、とわたしは思う。よくはわからないけれど、少なくとも上機嫌ではない。直前の会話をふりかえる。何か気を悪くする要素があっただろうか。あるいはもともと腹を立てていたから絡みにくい返答をしたのだろうか。 わたしはさらに会…

正しさより必要なもの

ぜったいに病院になんか行きたくないと彼女は言う。ため息をつく。どうして自分の意思に基づいた行動を邪魔するのかと尋ねる。死ぬからだ、と私は思う。このままではあなたが、あなたを必要とする小学生の子どもと夫と老いた両親を残して、死んでしまうから…

生存率向上のための要件

マキノさんお金あまるでしょう、この歳になると。うん、ちょっとだけ余る、若いころと生活がそんなに変わらないからかな、家賃をすこし上げたくらい。そしたら差額が余る、と。そう、意識して切り詰めてるわけでもないんだけどね、根が貧乏性なんだと思う。…

そんなものはありません

私はつまらない科学の子なので、医療の場でもないのに血液型を訊かれると半笑いをかえす。いうまでもなく血液型は性格を左右しない。多くの場合、真実ではないとわかっていて会話のツールとする遊びなのだろう。そうであるにせよ、遊びとして幼稚だと思う。…

お母さんと呼ばれていたころ

わたしの兄は海外出張中に事故に遭い、現地の病院から動かせない状態になった。義理の姉の一報を受けて駆けつけたら、義姉の両親もいて、たいそう立腹していた。義姉は無表情だった。その腕のなかで生後三ヶ月の姪が眠っていた。 義姉から電話がかかってくる…

正しいバカンス

はい、これ。旅行?そう、年末年始だから食べもの系はだいたい配り終わってて、こんなのだけど。ううん、うれしいよ、ありがとう、年末年始はけっこう休めた?今回は死にかけの有給を救ってあげることができた。珍しいね。うん、わたしの有給はだいたいむな…

あの島

十代のころから肩と背中が凝る。学生時代、何をしたら治るだろうかと訊いて回ったら、鍼灸をやっている人から、若くて動けるんだから指圧も鍼も灸も後まわしで運動しろと言われた。動かしてほぐす、腕を回せ、腕を。運動歴は?中長距離か、それなら水泳かな…

ふたりきりの祝祭

冷蔵庫を空にするのは楽しい。ふたり暮らしで、それなりにまめに料理をしていて、それでも忘れていたようなものが出てくる。冷凍庫の中身をかたっぱしから出していた彼が尋ねる。きみ、いつのまにかこんなの買ってたの。こんなのって?フライパンから目を離…

夢三夜

久しぶりに夢を見た。 彼女は目を覚まし、詰めていた息を吐き、いつもと同じように起床の儀式をおこなった。彼女は個人的な就寝の儀式と起床の儀式を持っている。起床の儀式はベッドのなかに入ったまま何度かまたたきをし、片手でカーテンをあけるところから…

あなたはこれを好きだった

はい、これ、いっぱいもらったから、お裾分け。私がそう言うと彼女は小首をかしげ、それから、笑った。声を出して笑う彼女を久しぶりに見て私はうれしかったけれども、その笑いにはもちろん屈折が感じられた。 ハンドクリームは二本目、と彼女は言う。ボディ…