傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

泣き虫、けむし

 いつも笑われていた。だから物心ついたときには、隠すことに力をそそいだ。誰にも見られないところで、ひとりきりで、這いつくばって手早く済ませる。僕は早くから、そうしなければならないことを知っていた。嘲笑の要因をなくすことはできなくても、隠す技術を向上させることはできた。
 みっともないところは見せないにかぎる。それが社会性というものだし、コミュニケーション能力というものだ。
 だから僕は「それ」が来たらできるだけ人目に触れないように動いた。人目につかない場所を探すことばかり上手になった。
 手洗いは意外とプライバシーに欠ける。少なくとも男子小中学生には。それよりも隙間がいい。空き教室の教卓の下。理科準備室の丸められた地図の陰。体育館の舞台の下。体育館はすごくいいけど、中に人がいれば入れない。たいていは放課後まで人がいる。そのときには体育館裏と隣の校舎とのあいだが次善策だ。
 数年かけて偽装と逃亡の術が完全されたころ、僕は十五になった。たいていの場面でらへら笑って、それなりにうまくやって、都合の悪いところは徹底して隠して、だからどこにいても、補欠合格の気分だった。
 へらへら笑った。いつもみたいに笑った。それが今日は、ことのほか苦痛だった。みんなはめんどくさそうにしていた。社会科の、妙に熱心な、みんなが嫌いな教師の、しかも受験に役立たない、すなわちこの中学校ではゴミでしかない授業。
 僕はへらへら笑った。スクリーンの中で人が死んでいた。酷いしかたでたくさん殺されていた。皮が破かれ、肉が千切られ、痛い痛いとも言えないで人が死んでいた。芝居だとわかっていることなんか何の役にも立たない。
 僕はへらへら笑った顔のまま教室を出た。教師の声が追いかけてきた。全力で逃げた。僕は泣き虫だ。僕はすぐに泣く。戦争の映画なんかぜったいにだめだ。泣く。間違いなく、僕は泣く。
 痛い、辛い、かなしい、誰かに会いたい。僕はそういうの、だめなんだ。ひとつでも泣くのに、いくつもあったらせっかく作り上げたへらへら仮面が一瞬で消えてしまう。あんなに苦労して作ったのに。泣いたら笑われて石を投げられるから、何も感じてないふりを、僕はしなくちゃいけないのに。泣き虫、けむし、はさんで捨てろ。男のくせに。男のくせに。
 捨てられたくなかった。

 涙は排泄物の一種だ。可愛い女の子の涙以外は。だから僕はげろを吐く姿勢でそれを出す。
 戦争映画が上映されている体育館の裏に逃げこんだ。ださい色のコンクリートブロックに這いつくばって、出した。出さずにすめばどれだけいいだろう。小さいころから治らない。僕の目からはしょっちゅう、排泄物が不意に噴出する。とても汚い。みんなが僕を嘲笑う。だから見せてはいけない。 僕は、普通だ。僕はいつもへらへら笑ってる。戦争映画とか、うぜー。三秒で忘れる。それが正しい男子中学生だ。たぶん、戦争映画を上映した教師にとってさえ。
 ため息が聞こえて、僕は咄嗟にからだを逸らす。制服と黒髪の匿名性に期待する。僕が誰だかわからない相手であることを強く祈る。中学校に上がってからは誰にも見られずうまくやってきたのに。
 曽根くん。祈りはあっけなく裏切られる。女の子の声だ。冴えない鼻声の。曽根くんも逃げてきたんだ、よかったあ。あんなの延々と見せられて平気でいるなんておかしいよね。戦争とか強制的にみんなと一緒に見たくないよ。
 僕は油断しない。彼女に顔を見せない。びーっ、と派手な音がして、へへ、と笑う声が聞こえた。ずいぶん堂々と鼻をかむ女の子だなと思う。案の定、たいしてかわいくない。いちばんかわいい女の子たちは鼻なんかかまない。
 その鼻の根元をちょっとつまんで、彼女はいう。曽根くんってきれいに泣くね。いいな。わたしも泣くときにそんなだったらいいのに。曽根くんの涙はきれいだなあ。

 世界が裏返った。そのことを彼女は今でも知らない。自分のせりふを覚えているかもわからない。でもかまわない。それは僕の世界の話だ。僕だけが知っていればいい。ただの嘲笑の的だった僕の涙が、隠さなければいけない恥が、いいものになった。あのとき、世界は僕の目の前で反転したんだ。

 そういえば、と妻が言う。
 この子、あなたに似たのね。こんなに泣き虫で。そうだねと僕はこたえる。妻はとうに、すぐ泣く子ではない。苦難には歯を食いしばり、食いしばりすぎて奥歯がすり減った。妻はそんななのに僕は、あのときから二倍の年を重ねて、子どもが可愛いというだけで泣いて、泣き虫が少しも治らない。泣き虫けむし。僕は今でも。