傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

悪い魔術

 この人たちは今、機嫌が悪い、とわたしは思う。よくはわからないけれど、少なくとも上機嫌ではない。直前の会話をふりかえる。何か気を悪くする要素があっただろうか。あるいはもともと腹を立てていたから絡みにくい返答をしたのだろうか。
 わたしはさらに会話をさかのぼる。そうしながら目の前の上司の仕草をスキャンする。ティーカップを置くとき、本来の位置からずれたところに置いたようで、カップがソーサーの溝を滑り落ち、かたんと音をたてる。おお、と上司がつぶやく。なぜだか周囲を見渡し、しつれい、と言う。わたしはあいまいにほほえむ。なにか言ったほうがよかっただろうかと思う。いや、ここはだまっているべきだと決める。隣の先輩の気配をうかがう。先輩にリードしてもらうほうがいい。
 先輩はふう、とため息をつく。マキノさんってしょっちゅう飲み物こぼしてませんか。こぼしてない、と上司がこたえる。少なくとも今は。ほら、ソーサーはきれいです。セーフですよ。よくこぼすかどうかについては、成人が飲み物をこぼす頻度についてなんらかの標準的な値をもってきてくれないと判断できないことです。先輩は首を横に振る。そんなもの要りません。どうみてもとびぬけてこぼしています。
 この先輩はどうしてこんなにずけずけとものを言うのだろうとわたしは思う。あははと上司が笑い、わたしは身を縮める。ずけずけものを言うのに、言われた人はどうして楽しそうにしているんだろう。それともほんとうは腹に据えかねているのだろうか。わたしだけが気づいていないのだろうか。
 上司が私の名を呼ぶ。はい、とわたしはこたえる。声が大きすぎた。それに反応が大きすぎた。もうすこしゆったりとこたえるべきだった。わたしはそう思い、正しい口調の返答を頭の中で繰りかえす。はい。はい。はい。——はい。
 あのですね、そんなに、人の話をまじめに聞かなくて、いいですよ。上司が言う。私は返答に困る。えっと、と上司がつぶやく。次のせりふを考えるみたいに目を泳がせている。会社の上司というのはもっとちゃんとした人だと思っていたのに、この人はいまいち冴えない。猫背だし、せりふや動作が全体にもさっとしている。ときどきカーディガンが裏表だったりする。わたしだったら話の途中でこんなに人を待たせることはできないと思う。でも上司は平気だ。好きなだけ時間をかけてから口をひらく。
 えっと、つまり、あなたがどういう反応をしようと、世界にはたいした影響がないってことです。今のあなたみたいな敏感さは、だいじなプレゼンだとか、そういうときにだけオンにすればいいと思います。いつもそんなにちゃんとしていたら疲れるでしょうに。都度「正解」を探りながら会話していやしませんか。
 そんなの当たり前だとわたしは思う。あいまいにうなずく。ふつうはそうだと思う。いえいえ、と上司は言う。日常会話に正解なんてありません。てきとうにしていていいのです。あなたはただでさえきちんとしているのだから、ふだん気にすべきことはほとんどありません。
 他人が自分の振る舞いに左右されるというのは、妄想ですよ。子どものころはだれでもそういう妄想を持っています。魔術的思考というやつ。道路の白線を踏んで歩いたり、小石を家まで蹴っていったりしませんでしたか。そしてそれを誤るとたいへんなことが起きると信じていたことは?
 子どもはたいていの場合、そういうかたちで世界と自分をじかに接続しています。大人になっても、たとえば恋愛感情なんかが原因で、そこに戻ることがあります。嫌われた?とか、すぐ思う。自分があんなことをしてしまったから、こんなことを言ったから、って。相互に強く影響すると思いたいからかもしれません。でも、実際のところは、何をしたから嫌いになるという場合のほうがすくないんですよね。単に飽きたり、勘違いがとけたりして嫌われるんです、たいてい。あるいは嫌われない。
 恋愛ならね、ほら、頭がおかしくなるものですから、わかります。でも誰に対してもオールウェイズ「嫌われる」「悪く思われる」ってびくびくしてるのはへんです。大人になって魔術的な世界にいる人はたいてい、悪い魔法だけが効くと思っている。いつも正解を探り当てないと悪いことが起きると思っている。でもそんなことはありません。だいじょうぶですよ、安心してください。
 嘘だ、とわたしは思う。そうかな、とわたしは思う。なんと答えるべきか考える。ほら、また考えてる。先輩が言って、わたしの肩をたたく。わたしはびっくりしてへんな声を出す。どうフォローしようかと考えているうちに、ふたりは笑いながら席を立ってしまう。