午前二時、そっとベッドを抜け出す。眠ろうと努力して一時間あまり、長年の経験から「これはベッドにいても解決しないやつ」と判断してのことである。
ベッドの中でずっと覚醒しているときには、あれこれ工夫すれば存外眠れる。そういうときには頭の中に思考が滞留していて、それが入眠を邪魔している。たとえば仕事が忙しくて長時間グイングインに回した頭の中が止まってくれない、というような状態だ。それなら頭の中を止める工夫をすればよいのである。そのために有効ないくつかの方法を、わたしは持っている。
そうしたやり方が通用しないのが、一度は半ば眠りに入ったのに半端に目が覚めてしまうパターンだ。わたしはこれを「半再起動」と呼んでいる。この状態はうっすらと不快で、足首あたりにそこはかとない恐怖が溜まる感覚があり、複雑な思考はできず、しかし何も考えないこともできない。こうなるとたいてい夜明けまでだめである。
かくしてわたしは深夜のダイニングで薄ぼんやりとお茶を淹れる。こんなときのためにこの家には常に複数種類のノンカフェイン飲料が準備されている。デカフェのコーヒー、好みのブレンドのハーブティー、ルイボスティー、麦茶。睡眠障害を持つ人間が眠れないとき、酒は最初に除くべき明確な悪手だ。
わたしの睡眠障害は筋金入りである。
安全でない場所で育つとたいてい睡眠に支障が出る。危害を加えられそうになったら逃げるか戦うかしなければならないので、常に加害の可能性のある環境で育つと非常に睡眠が浅くなるのだそうだ。犬の眠り、とわたしは思う。昔お世話になった精神科医がそう言っていたのだ。
これは比喩ですが、犬って昼もごろごろ寝てるけど、ちょっとした物音でばっと起きるでしょう。あなたの眠りはそういう感じです。頭で「もう安全だ」と理解しただけでは治らない。あなたの中にはそのような睡眠のあり方が装置として埋め込まれている。でもこの社会は熟睡できる人間を前提に作られています。だから困る。困るので障害と呼びます。そんなわけであなたは睡眠障害でもあるんです。
なるほど、とわたしは思った。犬の眠り。
わたしはその後長い時間をかけてさまざまの工夫をこらし、睡眠薬なしに眠ることができるようになった。それでもいまだにときどき眠れなくなる。
ダイニングの扉が開く。うお、と夫が言い、目にてのひらをかざす。わたしは彼のためにダイニングの電灯を間接照明に切り替える。ありがとう、と夫は言う。そして冷蔵庫からノンアルコールのワインを取り出し、はちみつを垂らして電子レンジであたため、シナモンを振る。凝っている、とわたしは思う。これそのままだとあんまりうまくなかったからさ、と夫は言う。
夫はちょっと調子を崩すと中途覚醒するタイプである。きみの睡眠障害には理由があるけど、と彼は言う。おれはぜんぜんそれらしい理由がないんだよ。大人になるまで寝るのに苦労したことないし。
わたしは彼の飲み物をひとくちもらう。それから言う。理由なんかなくたって、睡眠は難しいものなんだよ、きっと。
まじで難しい、と夫は言う。三大欲求のうちいちばんままならない。ほんとうに御しがたい。食べるのは楽しいし、料理は長年の趣味だ。まあ腹は弱いけど、おれはおれの腸とはそれなりに折り合いをつけている。セックスもねえ、常に理想的というわけじゃないけど、ええもうご存知のとおりです、でもさあ、理想的じゃなくてもいいもんだし、毎日するもんじゃないし。自分でするぶんにはとてもシンプルだし。それに比べて眠りの難しさ!
そうねえ、とわたしは言う。わたしも睡眠がもっとも御しがたいと思うよ。わたしは育ちのために身体にも精神にも複数の問題があったけど、最後まで残ったのは睡眠障害だもの。
でも、それもたまたまじゃないかな。わたしと似た環境で育った人に別の問題が残ることだってあるだろうし、あなたと同じように大人になってから睡眠がうまくいかなくなる人ばかりでももちろんないのだし。
睡眠には睡眠障害があるけど、食には摂食障害があるし、これは依存症的側面も持つらしいし、性行為にはずばり性依存がありますよ。わたしたちが経験していないだけで、そしてわざわざ言う人が少ないだけで、けっこういるんだと思うよ。
わたしたちは午前四時までぽつぽつ話をする。わたしたちの夜中の覚醒はしばしば連動する。非科学的な想念であることを承知で、同じ家に住んで同じものを食べてしょっちゅうくっついて一緒に寝ているから悪い病気をうつしたのだという確信が、時折脳裏を泳いでゆく。