傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

彼女がいちばんきれいだったころ

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから三年ばかり、久しぶりの連絡が増えている。そうして「実はあのころ」という話を、ぽつぽつと聞く。実はあのころ、子どもが不登校になってね。いいえ、中学校に上がったらけろっとしちゃって。実はあのころ、わたしガンになってね。いいえ、もうほぼ完治してる、ちょっと手術しただけで、予後がすごくいいタイプのもので、たまに検査しに行くだけで、ほんとうにどうということもない。
 全部終わったから、言うんだけど。

 疫病の流行からしばらく続いた、いわゆる行動制限中でも「この人たちなら」と思って会う人には、彼女たちはその話をしたのだろう。わたしにとってそういう仲でなかった人たちは、その身に起きたあれこれを黙っていて、今になってぽつぽつ話す。

 わたしには年長の女友達がいくらかいて、なかでもわたしに年の近い人が、やはりそのように言うのだった。男と暮らしてるのよ、二年前から。すぐ終わると思って、それで話題にするほどでもないと思って、べつに秘密にしてたわけじゃないから、今になってみんなに言っているのよね。
 彼女は当年とって五十歳である。わたしと知り合うずいぶん前、二十代で一度結婚して数年で離婚して、それから「恋愛はするけど結婚はもういいわ」「同棲もしたくない。わたしに得がないもの」「だってわたしそこいらの男より稼ぐし自分より料理が上手くて家事をやる男も見たことがない。結婚って、まさかわたしにごはん作ってもらって掃除してもらって稼ぎを半分もらいたいなんて、そんな恥知らずなこと考えてないわよね、と言うと、どいつもこいつも黙るのよ、それなら最初から黙っていらっしゃいよ」と笑う、そういう女なのだった。

 どういう人、とわたしが訊くと、彼女は神妙な顔して、わたしのお世話してくれる人、と言う。昔ねえ、と言う。男の友だちが、「再婚しないの?」とよく訊いたのよ。「しない、男の世話をしたくないから」と言うと、「きみの世話してくれる男と結婚したらいいのに。何も籍入れろって言うんじゃないよ、きみは何でもできるけど、誰かの世話になったほうがいいよ、きみにはそれがよく似合うよ、息を吸うように人の世話する男っているんだよ、俺みたいなさ、まあ俺はすでに幸せな結婚をしていますし妻を愛していますし息子も最高ですし第一きみは友だちであってそういう気持ちはまったくないですが」と、こう言ったのね。「それできみは僕の妻と同じタイプの人間だと思うわけよ、似てないけど、ぜんぜん似てないけど、誰かにお世話されなよ、そういうのがよく似合うよ、そのショートカットみたいにさ、そのピアスみたいにさ、よく似合うよ、男って言ったけど、男じゃなくてもいいからさ」って。
 それから二十年、数年おきに同じこと言われて鼻で笑ってたんだけど、あのね、いたのよ、わたしの世話をする男。

 ええ話や、と誰かが言う。いい話だ、とわたしも言う。

 あなたがいちばんきれいだったころ、と誰かが言う。今が悪いって言うんじゃないよ、でも若いってやっぱり勢いがあってわかりやすく麗しいものじゃない、わたしはそう思うのね、わたしたまに夫に見せてやりたくなるのね、わたしがいちばんきれいだったと、わたしが思っているときの姿を。あなたはそういうことない? 年いってから知り合って一緒になったとしたら、よけいにそれが気になるように思うんだけれど。なにしろあなた、そりゃあたいしたものだったじゃない。わたし好きだったよ、二十代のあなたのビジュアル。
 彼女はゆったりと言う。見せてやりたくないこともないわ。でもあの人もわたしもね、そのころ会ったって恋愛しなかっただろうし、一緒に住もうなんて少しも思わなかったでしょう。きれいだから好きになるのではないなんて、当たり前のことでしょう。好きになったからその美しさを特別に感じるだけのことでしょう。
 あの人はわたしの完全な運命の人なんかじゃないの。どこでいつ出会ってもわかるみたいな、ファンタジーの存在じゃないの。ただ知りあったタイミングが良かっただけなの。
 あのときじゃなかったらわたしは彼をなんとも思わなかった。あのときじゃなかったら、あの人じゃなかった。あの人もきっとそう。わたしがきれいだろうが子どもを産める年齢だろうが定年までだいぶ時間があろうが、わたしたちにはきっと何も起きなかった。
 だからいいのよ、わたしがいちばんきれいだったころの姿なんて、みんながいちばんきれいだったと言うであろう時期のことなんて、わたしたちにはどうでも。