その日の読書会には、中央線沿線の住民が三人来ていた。
私がときどきお邪魔している読書会で、会場は公営の会議室だ。そこで本を囲んで話したあと、八割がたの参加者が打ち上げに流れて雑談を楽しむのがならいである。
その打ち上げの場で、誰がどこに住んでいるという話になった。そうしたら合計三人の最寄り駅が中央線だったというわけである。
中央線、いいですね、と私は言った。友だちが何人か住んでいるのでときどき行くんです。すると阿佐ヶ谷在住の、近所で知り合って仲良くなったという女性二人が顔を見合わせてほほえみ、一人が代表するように、あら嬉しい、と言った。たくさん楽しんでね、いいところですから。個性的な本屋さんもたくさんあるし。
はい、と私は答え、躊躇いをはさんで、結局口をひらいた。しかしですね、私は中央線を憎からず思っているのですが、中央線のほうは、どうも私を好きではないようなのです。
そういう気がするのだ。一般的な感覚かどうかわからないのだが、「私の好きな街」がある一方で、「私を好きな街」があるような気がしてならない。そうして引っ越し魔である私は、住んでみてもどうにも落ち着かない街があることを知っている。賃貸を更新する気になれないのだ。「職場が近いから引っ越してきて、特段の不自由はないけど、ここはもういいかな」と思って、また転居する。そんなことが二回ばかりあった。
でもその二回については、まあかまわないのだ。私だって通勤の便だけが目的で住んだので、先方が私を好きじゃなくても、私だって「あなたのことはそれほど」なのだから。
しかし、自分が好きな街に好かれないのは、少し悲しい。だからかもしれないが、私は中央線沿いに住んだことがない。
私は言う。つまり街には人格のようなものがあると、私は感じるのです。自分が好きなだけではだめで、相手からもそこそこ好かれていないと、居心地が良くないのです。みなさんはそういうのないですか?
たとえばですか、うん、たとえば、西荻さんは人あたりが良くて話題の幅が広いので、大勢で集まるときには私がいてもOKなんです。にこやかに接してくれる。でも個人として仲良くする気はない。ホームパーティには呼んでくれない。国立さんは単に私に関心を持っていない。何度も会っているんだけど、たぶんフルネームを覚えてない。そして高円寺さんは私のことが積極的に嫌いです。あいさつすると露骨に「この人なんでここにいるんだろ」みたいな顔する。
私がそのように話すと、皆がいっせいに「全然わからん」「いや、わかる」みたいな話をはじめて、座がにぎやかになった。例の阿佐ヶ谷の女性二人は、「あー、西荻さんってたしかにそんな感じ」「あの人昔からそういうところある」などと言い合い、それから、「阿佐ヶ谷さん」の性格を考えて披露してくれた。
ちなみに、先方からも受け入れられた街はどんなところなの。二人が尋ねてくれるので、私はこたえる。
昔、古い物件を借りて都心のあちこちに住んでみたんですが、神楽坂から曙橋にかけての、ええそうです、牛込ですね、とっても住みやすかったです。神田川を下って日本橋人形町もしっくりきました。静かなところだと、本郷小石川。それから、蔵前から上野にかけての、広い意味での浅草、と言えばいいかな、あのあたりが落ち着きます。賃貸で住んで気に入ってマンション買いました。
三人目の中央線沿線住民が口をひらいた。僕は高円寺です。
おお、と阿佐ヶ谷在住の女性が声を出した。いかにも高円寺に好かれそうよ、あなた。
私もうなずく。彼は苦笑して、どのへんが、と言う。阿佐ヶ谷の彼女が私の顔を見る。私は考える速度そのままにこたえる。えっと、お仕事がマンガの編集者さんと伺ったので、そこがまず合ってる。あと、おしゃれ。古着とかを着こなす感じのおしゃれ。そしてたぶん音楽がお好きですね? そうでしょう、そうでしょう。高円寺さんは音楽をろくに聴かずに生きてきて何も考えずにカラオケでヒット曲を歌うような人間は好きじゃないですよ。私のことですが。そして犬より猫が好き。どうですか。
受けた。合っていたらしい。
帰ったら高円寺に言っておきます、と彼は言う。高円寺はね、いいやつなんだけどちょっとめんどくさいところがあるんで、そこが味でもあるんですけど、心の壁が高すぎる感じがある、それってどうなのかとオレも常々思ってるんで、もうちょいハードル下げろって、よく言っておきます。