人類が火星に行くために、閉鎖環境で五百二十日過ごす訓練をした人たちがいるんだってさ。どう、そういう話が来たら。来るわけないけど、来たとしたら。
そう言われて、頭の中で宇宙飛行士になった。
五百二十日というと、一年半くらい。フィクションに出てくる宇宙飛行士はたいてい、数人で宇宙に行く。そんでだいたいトラブルが起きる(フィクションだから)。協力と達成のドラマ、けんかや色恋沙汰みたいな人間関係のゴタゴタ、さらには船内での殺人事件、地球に帰る船から取り残された者の生き残り大作戦、母星の消失にともなう宇宙放浪の日々まで、かつて読んだ物語が頭の中をかけめぐる。
数人きりで一年半。
無理だ。
頭の中で宇宙飛行士の格好をした私が泣きながら辞表を提出した。アメリカとかロシアとかの施設を使う宇宙飛行士が日本式の辞表を書くことは絶対にないけど。あといくらなんでも辞めますって言う時にあの格好はしないだろ。
即決するねえ、と彼は言う。数人でダメなら、何人ならいけそう? 最低限で。
人数の問題ではない、と私は言う。物理的な距離が近くてコミュニケーション必須の共同体から長期間出られないっていうのが私はもうダメ。すべての関係は、嫌になったらやめていいから、やっていけるんじゃないか。宇宙飛行士は、ミッションの間、つながるのをやめたら「死」じゃん。私みたいな人間は、閉鎖環境で感情が煮詰まったら、あっというまにダメになる。本物の宇宙飛行士は、科学者や技術者としての能力のほかに、ダメにならない精神が特別なのでしょ。
あ、私、ひとりなら、五百二十日、いける。
口に出してからびっくりした。私そんなこと考えてたのか。一人暮らしは好きだったけど、孤独に強いとは思わない。年をとったら友だちが死ぬ確率が上がるから、「長生きしても話す相手が残るように三年に一人は新しい友だちを作ろう」などと真面目に考えている。そもそも目の前にいて宇宙飛行士の話を持ちかけてきたこの人と一緒に生活している。そんな人間はさみしがりやに決まっている。
そうか?
そうだろうか。
このまま考えるのはよくない、という直感がはたらき、私は問いをかえす。あなたはどう? 何人ならいける?
彼は笑ってこたえる。おれは閉所恐怖症気味だから、宇宙船に乗れない。
私も笑う。そうして宇宙船を舞台にした彼の好きな小説のタイトルを挙げ、話題を横に滑らせる。
髪を洗いながら想像を再開する。
私が気持ちよく働けるのは、私が被雇用者であり、最終的には二週間前通告で辞めることができるからだ。それが労働者の権利だからだ。今に辞めてやるなどと思っているのではない。長く働きたいと思っている。しかし、職場も自分も変化するのだから、いつでも余所で働くことができる状態でないと、安らかでいられない。若いころから「ここを辞めても食いっぱぐれない」状態を維持してきた。いわゆる安定よりも、もちろん豊かさよりも、そちらのほうがはるかに大切なのだ。
私生活だってそうだ。切れないつながりは、私にはない。法律婚は切れにくいから、事前に契約書を作って、離婚する場合にできるだけラクにできる体制を整えてから、した(そういうのがOKな相手からの提案だったから承諾した)。その他のつながりはより簡単に切れる。私が組織やコミュニティから去り、あるいは一対一の連絡をやめれば、それで終わりである。
オイルを塗る。二層式の化粧水を振る。
ドライヤーをかける。
では実際に社会的なつながりを断つことが多いのかといえば、実はそうではない。転職経験はあるが、私のいる業界では回数が少ないほうだ。長く続いている友人たちがおり、一方で長短問わず疎遠になる関係があり、そしてその「疎遠」の多くは曖昧なものだ。私が明確に関係を断ち切るのは、どちらかがどちらかにとって有害な存在になったときで、そんなのは滅多にあることではない。
実際に断ち切る可能性の多寡は、この場合、関係ないのである。
すべての関係は、嫌になったらやめていいから、やっていけるんじゃないか。
自分のせりふが頭の中に響く。そうか、そう思っているんだな、私は。
歯磨きをする。フロスを人差し指に巻く。
双方の意思によらない関係が、とにかく嫌なんだ。やめられない関係しかないなら、身が切れるほどさみしいほうがずっといいんだ。まして期限つきなら、迷わず一人を選ぶんだ。
リビングに戻る。彼は私の行動を時計代わりにしており、私が夜のルーティンから戻ると、風呂の時間だあ、と言う。おやすみ、と私は言う。寝室に入る。それから思う。あの人は、何人なら、宇宙船で五百二十日を過ごせるのだろう。