傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

いなくなったあの人のこと

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから二年半、わたしの会社からは何人かがいなくなった。転職や定年退職はカウントしていない。職場を変えるのではなく、ただ辞めた人の数である。

 このところ疫病の感染状況はまったくよろしくないのだが、それでも出社は増えた。あまりに長期間なので、弊社の経営陣は「ある程度のリモートワークを残し、リスクは承知で出社してもらって、それでやっていくしかない」と考えたようである。緊急対応というには、二年半はあまりに長い。
 そうすると増えるのが立ち話である。新人や新しいクライアントについての情報交換、リモートワーク生活のこと、リモート対応で導入されたソフトウェアの感想、そして、いなくなった人の話。

 いなくなった人のひとりはわたしの新人時代の指導役だった。
 二十年前のことだから、今から考えるとハラスメントが横行していた。社員個人を「女は」と平気で属性で呼ぶ中堅社員も少なからずいたし、「彼氏いるの?」「結婚は?」などという質問は日常茶飯事、ものを言えば「可愛くないねえ」「色気ねえなあ」といったヤジが返ってきた。「あわよくば」と言わんばかりののアプローチも一度ならずあった。しかしわたしの指導役はそうしたことは一切しなかった。
 彼は有能で親切な指導役だった。しかも一度たりともわたしを「女」という枠に入れなかった。自分が指導する新人としてのみ扱った。そういうのはなかなかできることではない。
 彼はまた、他の人に対しても同様の公平さを発揮した。彼にも彼なりの党派性はあるのだけれど、「僕はこの人を尊敬しているから点が甘いかもしれない」というふうに全体での公平さをはかる姿勢を見せていた。
 いち個人としても感じのいい人だった。ちょっと変わった趣味を持っていて、よくおもしろおかしくその話をしてくれた。家族を愛し、「アメリカ人か」と突っ込まれながらデスクに子どもの写真を飾っていた。

 しかし彼は疫病下でしだいに気持ちを沈めたようだった。彼はだいぶ前から別部署の管理職をしているので、わたしとはやりとりがなかった。
 ある日、彼の上司からわたしに連絡があった。いくつかの部署の統括なので、わたしの遠い上司でもある人だ。会社の中核にいる役員のひとりだから、わたしはちょっと緊張した。
 少し電話したいというので話を聞くと、わたしの指導役だった彼が以前は見逃していたような些末な事柄について、何かと上司に指摘するというのだった。指摘される懸念はゼロとはいえない内容なので、上司は「指摘に感謝し対応する」という返信を繰りかえしていたのだが、あまりに頻回かつ内容が細かいので、だいぶまいってしまったのだという。
 そういう人だったかなと思って、たしかあなた彼の指導を受けていたでしょう、昔はどうでしたか。
 そう訊かれて、そんな人ではなかったとわたしはこたえた。新人としては寛大なイメージを持っていたし、その後もそれを覆すような振る舞いを見たことがない。でも二十年も経てば人間は変わるし、わたしは最近のことをそれほど知らない。そのように話した。
 その後彼は会社を辞めたい旨のメールを送ってきた。彼の上司にあたる役員は慰留したいと思ったが、切羽詰まった様子だったので気持ちよく退職できるよう取り計ると返信した。すると彼は慰留がなかったことに対してさまざまの憶測をめぐらせ、やりとりの詳細を記録しその問題点(と彼が思うところ)を微に入り細を穿ち指摘したメールを送ってきたのだそうだ。裁判という語も、そこには書かれていたという。
 その後、複数の役員が彼に対応し、彼は辞めたのだそうだ。

 どうしてでしょうねえ、とわたしは言った。どうしてそんなことになっちゃったんでしょう。まだ定年まで十年もあるのに、疫病前は人望だってあったのに。
 どうしてでしょうねえと、話を聞いてくれた同僚が言った。でもそういうケースほかにもあったみたいですよ。不可解な退職。
 わたしは思うのだけれど、こういう状況は人をずっと傷つけ続けるんです。疫病前の社会にしっかり適応していたとしても、疫病下でがつっとやられちゃう人はいるんです。弱いとか適応力がないとかじゃなくて、この状況がツボに入るというのかなあ。
 さみしいですね、と同僚は言った。さみしいです、とわたしはこたえた。でもこの状況に乱される心だったからこそ、あの人はあんなに親切だったのかもしれない。親切にしてくれた人格と、疫病下でああいうメールを上司に送り続ける人格は、表裏一体のものだったのかもしれない。