傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

山田専務はきれいなおじさん

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。わたしの勤め先でもリモートワークが導入され、大勢が集まる対面の会議はぐっと減った。そのさなかにやってきたのが山田専務である。疫病禍を受けた組織改革の要としての、鳴り物入りの引き抜きだったと聞いている。
 とはいえ、それなりの規模の企業では、そこいらの社員と専務に業務上のやりとりはほぼない。わたしが専務とはじめて口をきいたのは仕事に関係のない場面だった。階段部に勧誘されたのである。

 久しぶりの大規模な対面会議のあと、エレベーターが混んでいるので階段で降りることにした。会議室は十階、わたしの席のあるフロアは三階である。
 比較的若い社員たちが三々五々降りていく中、リズミカルに階段を踏みしめてわたしに追いついたのが山田専務であった。やあ、と彼は言い、わたしの名を口にした。口語で「やあ」と言う人はそんなにいない。でも彼にはそれがよく似合っていた。あなたのところの部長から話を聞いていますよ、リモート化のあれこれにご尽力くださったとか。
 わたしはそんなに役職の高い社員ではない。ということはこの人は、少なくともちょっとした管理職なら顔と名前と業務内容が一致するていどには覚えているのか。対面会議がない時期に社外から来た人なのに。
 恐れ入りますとわたしが言うと、彼は眉をあげ、その動作で「それはともかく、本題ですが」というニュアンスを示した。そして言った。階段部に入りませんか。

 階段部とは「美と健康のゆるやかな追求」を旨とし、社内でできるだけ階段を使う活動をする集団だそうである。彼は部員として何人かの名前を挙げ、「階段を使う以外に何をするのでもない部活です」と言った。では、とわたしは言った。入部します。意思決定が早い、素晴らしいと彼は笑い、「そうそう、わたくしに呼びかけるときには役職名抜きで『山田さん』とおっしゃってください」と言い残して去っていった。階段部には連れだっておしゃべりしながら降りる派閥と自らのペースを最優先する派閥があり、山田専務、じゃなかった山田さんは後者なのだそうである。
 階段部の発起人は山田さん自身である。「美と健康」を標榜するだけある、とわたしは思う。山田さんはありふれた顔だちの、薄毛を短く整えた五十代男性である。それだけならばそこいらにいそうなのだが、山田さんみたいな中年男性はそうそう見ない。すらっとした姿にしゃきっと伸びた背筋、張りのある声に個性的かつ感じの良い話しかた、みごとなサイジングと手入れが見て取れるスーツと靴、ほどよい血色のきめ細かなお肌。なるほど美と健康である。

 わたしが歯のクリーニングに行っている歯科医院は美容医療にも力を入れていて、受付で会計を待っているとそのポスターが目に入る。男性院長の写真がばーんと出ていて、美容医療の内容が書かれたのち、このように結ばれている。「男性もより美しく! 院長と一緒にきれいなおじさんになりましょう」。
 そうか、とわたしは思う。男性の身体を好意的に形容する語としては「清潔感」が鉄板だが、美容医療なのだから、それよりアグレッシブにしたいわけだ。それで「きれいなおじさん」。山田さんみたいな人をめざすということかしら。結構なことである。美容医療をやるかはともかく、きれいになりたい人はどんどんきれいになれる世の中がよろしい。
 わたしの父は山登りが趣味なのだが、お肌の手入れをしないので、もうガサガサである。母に言われて日焼け止めだけは塗っているものの、てきとうに塗るのでこめかみにシミができている(ちなみにわたしも若いころ雑に化粧していたのでこめかみに薄くシミが浮いてきた。親子である)。父が化粧水のひとつもつけたがらないのは、やっぱり「男らしくない」からかな、と思う。今よりずっとその種の抑圧が強かったころに人格形成した人だ。そういう男性たちに抑圧を乗り越えて美を追究しましょうと呼びかけるために「きれいなおじさん」という表現が出てきたのだろう。
 わたしも中年である。きれいなおばさんになりたい。しかしおばさんという語は、おじさんとはまた違うニュアンスで揶揄的に使われすぎていて、当事者としては困っている。「おばさんじゃない」とか言われて、言う側は褒め言葉のつもりだったりするのだ。困ったものである。おばさんをやらせてほしい。できればきれいなおばさんを。

 それから三ヶ月ほどの間に、わたしの勤務先では「美と健康」という語が流行した。みんなちょっと可笑しそうに、でも好意的に口にしていた。