傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

疫病罹患日記

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから二年、夫が罹った。
 夫は近所の病院に片っ端から電話をかけ、「うちでは無理ですが、○○医院ならあるいは。お約束はもちろんできませんが」「うちだとかなり待ちますし週末は検査ができないので、××病院にチャレンジしていただいてからのほうがいいかと個人的には思います」「待つと思いますが、受診していいですよ」という順序で情報を得たそうだ。
 幸運なことである。このところの感染爆発で、地域によっては検査を受けることさえままならないのだ。待つことに問題がない状態だったのでできたことでもある。疫病患者は隔離された場所で待機して疫病患者だけが受診する診察室に入るのだが、待機場所はだいたい屋外なのだ。
 わたしは自治体がやっているモニタリング検査会場に向かった。陰性。

 夫は陽性診断をもらった夜から38度台の熱を出し、それが三日続いた。寒気がひどいらしく、羽毛布団をかぶって震えていたが、それより彼を怯えさせたのが嗅覚異常だった。ゼリー状の栄養食と、調子が良いときにはわたしが作った卵がゆを食べていたのだが、「豆とか出汁とかの香りがあんまりしない」と言う。鰹と昆布の合わせだしなど正月くらいにしかやらないのだが、それを使っても「少ししかいい香りがしない」と言う。「でもうまいような気がするから白粥よりこれがいい」と言う。わたしたちは食いしん坊なのである。
 たぶん嗅覚異常もきてる、味覚の半分は嗅覚だから。やや回復した夫はそのように語り、タロを連れてきてくれと言った。タロはわたしたちの犬である。ふだんは入れない寝室に連れてこられたタロは「おすわり」と言われるがままにじっとしている。ふだんは元気ないたずら者なのに、空気の読める犬である。
 夫はタロの頭頂部に鼻をうずめ「くさくない」と悲しそうにつぶやいた。
 犬は犬くさいものである。シャンプーから二週間経った犬に密着して息を吸ってくさくないなら明らかに異常だ。タロはしんねりと座っていた。

 やがて夫は通常の食事が取れるようになり、タロをかいで「くさい!」と大喜びし、無事に自宅待機期間を終えた。このたびの疫病では夫の症状はごく軽症である。しかも自立生活をいとなむ大人ふたりの家だ、負担もそうはない。小さい子どもふたりがいる一家全員で倒れた友人がいたが、彼女はどれほどたいへんだったことだろう。わたしはぜんぜん苦労していない、幸運な人間なのだと思うべきである。

 そう思ったのだが、いざ自分がかかるとぜんぜん幸運とは思えなかった。
 夫が自宅待機を終えた一週間後、今度はわたしに疑わしい症状が出た。熱ではない。味覚異常である。
 その日は豚肩ロースのブロックを角煮風に煮ていた。途中で煮汁を味見して、わたしはぎょっとした。塩味がほとんどない。そして金属っぽい苦みがある。来た、と思った。醤油と砂糖をどぼどぼ入れた煮汁から金属味。生理的な恐怖を感じた。
 夫のかかった病院に電話して受診、陽性、職場に連絡。夫は粛々と買い置きの経口補水液を冷蔵庫に詰め、「僕は一回罹ったけどそれでも自宅待機だそうだから」と言って家にいた。このたびの疫病では、直近で罹って治ったから大丈夫でしょうとも言えないのだ。
 自宅療養で同居者への感染を防いだルポライター夫妻の書いた記事を読んだのだが、彼らは犬を撫でるたびに犬の毛を拭いていた(たまたまこの家にも犬がいたのだ。それにしても犬もたいへんである)。わたしたちはすでに片方かかって治った状態ではあったが、いちおう「ワンちゃんが舐めても安心! アルコールフリーウェットシート」で拭くことにした。
 そしてわたしは夫の手法を踏襲し、朝晩犬に鼻をつけて吸った。そう、わたしは微熱で済んだのだが、夫より強い嗅覚・味覚異常が出たのである。
 一週間以上、わたしはつらかった。タロがぜんぜんくさくない。食欲はあって、あっさりしたものなら普通食を食べられるのだが、何を食べてもおいしくない。というか怖い。味がまったくないなら怖くはないのに、金属っぽい苦みや経験したことのないえぐみを感じる。なまじ元気なので本来の味と感じた味の対応表を作ったりした。療養期の自由研究である。

 味覚が戻った日のことはよく覚えている。夫に呼ばれて食卓に行き、まず「おいしそう」と思った。さわらの粕漬け、温豆腐の野菜あんかけ、冬瓜と茗荷の冷やし鉢。ーーの、味がした。香りがした。
 わたしはがつがつと食べ「治った」と宣言し、タロをつかまえて顔をうずめてくさいくさいと言った。タロはおおいに暴れた。