傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

ふたり狂い

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それから半年でわたしの部下のひとりの様子がおかしくなった。部下といっても年次も近く、長年の友人でもあったから、わたしはたいそう心配した。でも彼はしだいにわたしの仕事を非難するようになった。
 最初は感染症対策についてで、これはわたしたちの会社全体がほとんど何もしなかったようなものだから、役員のわたしが責められるのは故のないことではない。
 ところが彼の非難はそれにとどまらなかった。次に持ち出されたのは通信上の安全の問題だ。たしかに、オンラインでの打ち合わせは理屈の上では完全に安全とはいえない。でも実質的には問題ない。そのように彼に説明した。しかし彼は「実質的には」では納得してくれなかった。
 彼はとうとう「自分と家族の安全を守りきれない」という理由で会社を辞めた。引き留めたかったが、彼がとても辛そうだったので、ぐっとこらえてできるだけ円滑に退職できるよう手配した。すると彼は彼の妻とともに、慰留がなかったことについての問題点を指摘するたいへん長いメールを送ってきた。そこには裁判という文字すらあった。
 わたしはすっかり疲れきって、彼が(どうにか気持ちをおさめて手続き上は通常どおりに)辞めたあともしばらく気持ちの整理がつなかなった。
 だって彼はそんな人間じゃなかったのだ。有能で、愉快で、誰の話も真剣に聞く誠実さがあって、部下にも慕われていたのだ。

 その彼から連絡があったのは疫病の流行開始から二年半が経過したこの初秋のことである。
 彼のメールにはたいへん丁寧に当時のことを詫びる文言が連ねられていた。そしてその後ろには簡潔に「退職のさいに騒ぎを起こした自分を不審に思い、精神科を受診したところ、統合失調症と診断されました。投薬治療が著効し現在は寛解しています」とあった。
 わたしは安堵した。彼は病気だったのだ。人口の一パーセントがかかる、よくある病気だったのだ。そして良くなったのだ。彼の人間がまるきり変わってしまったのではなかったのだ。

 わたしは喜んで返信した。彼は定年まで数年を残して退職してしまったのだが、知人の紹介で六十五歳定年の職を得たのだそうで、そのお祝いも伝えたかった。
 彼はたいへん恐縮したようすの返信をくれた。その文面は先のメールより感情を乗せた書きぶりで、以前の彼らしさがあった。彼はこのようなことを書いた。

 自分はもとから神経質な人間ではありました。子どもが赤子のころは新生児が突然亡くなる病気のことをいつも気にしていましたし、少し大きくなれば交通事故やけがの心配をし、留学すればそこで起こりうる最悪の事態を考えました。体調が悪くなるとそうした空想がエスカレートするので「ここまでいくと妄想的だ」「精神疾患のカラーがある」と思ったものです。もともとそんなだったから、病気になったときに自分を疑うのが早かったのかもしれません。もちろん、神経質な人間が発病する病気というわけではありません。
 妻のことも心配していただき、身の縮む思いです。その節は妻もたいへん失礼な、病的なメールをお送りしてしまいました。お詫びのしようもございません。本人も深く恥じ入っております。
 妻は病気ではありませんでした。ただわたしに症状が出たとき、わたしにひどく同調しました。いま妻のメールを読むと、まるでわたしと同じ病気であったように見えます。しかし妻はわたしがおかしな考えを口にしなくなったらほとんど元に戻りましたし、わたしが寛解してからはすっかり元気です。治療を受けずに治るのだから病気ではないと医師は言いました。
 そうした例はなくはないようです。

 そうか、とわたしは思った。
 わたしは彼の退職当時、何度も会って親しみを感じていた彼の妻にまで責められてつらい思いをしたのだが、彼女もまた通常の状態ではなかったのだ。
 十年ほど前だったろうか、ふたりで飲んでいたとき、彼はこう言ったものだった。妻は外から見れば社交的で快活ですが、あれでなかなか繊細なやつなんですよ。気の小さいわたしとはお似合いだと思っています。息子はーー息子はわたしたちと似ていないな。年頃の男の子のわりに親を好いてくれていますが、何というか、気質が違う。

 彼と妻の結びつきは非常に緊密なものなのだろう、とわたしは思う。ふたりだけで内面世界を共有しているのだろう。それを相互依存と呼ぶこともできる。けれどわたしはそれが少しうらやましいようにも思う。
 彼らが落ち着いたらまた彼らの家を訪ねても良いだろうかと、わたしは彼への返信に書き添える。