傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

コンテンツ必要ない系の人々

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのためにわたしに新しい出会いの機会がなくなった。恋愛の話ではない。仕事のコネクションとかの話でもない。友人知人の話である。わたしは知らない人と新しく知り合うのがとっても好きなのだ。利害関係も色恋沙汰もないところで雑談がしたいのだ。そうして「人間はみんなちがう」と思う、するとなんだか安心する。これができないとなんだか世界が平板になった気がしてうそ寒く落ち着かない。知らない人としゃべりたい。
 その欲求にこたえたのはもちろんインターネットである。ウイルスが載らないコミュニケーション手段。知らない人もうようよしている。知り合うとっかかりとしては趣味がもっともやりやすい。わたしは小説やマンガの話ができる相手を探し、気の合う仲間を手に入れた。めでたし。

 めでたしなのだが、彼らのある種の性質にわたしは少々困っている。
 小説やマンガの話が好きな人たちは、ノンフィクションや映画も好きで、カルチャー全般を愛していることがほとんどだ。そして自分たちの知識や見識に誇りを持っている。それはいいことなのだが、コンテンツ文化に興味がない人のことをあからさまに見下すのだ。するとわたしは非常に居心地が悪くなってしまう。
 なんかね、あの人たち、コンテンツ文化に興味がない人たちのことをすごくステレオタイプに見ているの。たとえば朝井リョウが描くマイルドヤンキーみたいな感じに見てる。「みんなでバーベキューしているときにストロングゼロ缶をあけ、子どもたちの目の前でふざけて飛び込みをして、そのまま死ぬ」とか、そういうイメージです。わたしはこういう描写がほんとうに怖い。ヒッてなる(新作に出てきます)。
 地元の仲間と行くキャンプやバーベキューに罪はない。ないのだけれど、カルチャー好きな人々は「バーベキュー 笑」みたいな感じで言及する。わたしは子どものころ毎年親の友人グループにまさにそういうキャンプに連れて行ってもらっていたから、都度しょんぼりしてしまう。楽しいよ、みんなでキャンプ。
 そして、コンテンツカルチャー好き系の人はコンテンツカルチャー必要ない系の人のことを「あまり知的でなく、学歴が低く、重要な仕事をしていない」と思っているふしがある。これもね、なんかちがうと思う。知的で学歴が高くて、たとえば給与水準が高い仕事をしている人にも、コンテンツ系まったく興味ない人はいっぱいいる。単にそういう人としゃべったことがないだけじゃないかと思う。
 わたしの職場の先輩に、およそ日本でもっともブランド価値が高いような学歴を持っていて、三カ国語に堪能で、打てば響きわたる頭脳の超かっこいい女性がいるんだけど、仕事以外の都合で本を読むことなんかないし、それで問題ないって言ってた。去年観た映画は息子さんを連れて行ったドラえもんと鬼滅だけ(なお、鬼滅は息子さんが怖がったので途中で出てきたそうです。子どもって、鬼滅好きなのに本編を見ると怖がること多いよね)。
 わたしの育った家でも、母方はコンテンツ好き系、父方はぜんぜん必要ない系の人が揃っていた。父方の係累の趣味はDIYとか料理とかスポーツ、それに園芸や家庭菜園やペットの飼育で、親戚同士で山荘を共同所有して、子どもたちに自然体験をさせてくれた。
 おかげでわたしは「野山に混じりて竹をとりつつ」が実際にはどういう手順でおこなわれるかわかるし、「起仰天狼熾」とくればその星がどんな光を作家の上に降らせたか想像できるし、おじいちゃんお手製の奈良漬けほど美味しいのはめったに買えないと思っている。ちなみにわたし自身も流しそうめんのあの竹のやつをゼロから作れる。楽しいよ。
 一方、母方の祖父母は本の虫で、母も四六時中フィクションを摂取している人だ。わたしは母の本棚の中身を十八までにあらかた読んだし、今でも母とのLINEはおすすめタイトルの交換が九割だ。
 わたしは母方の感じも父方の感じもどっちも好きで、だから片方だけ否定的に見られるとほんとうにしょんぼりしてしまう。

 こうなったらインターネットでキャンプ仲間を募って自分の双方のたましいを満足させる交友関係を構築しようか。でもわたしはSNSが器用じゃないから、アカウントわけとかほんとうにめんどくさい。わけずに募集したらいけないかなあ。カルチャー系だけにしている今でも、「棲み分けしてください」って言われたことあるから、やっぱだめかなあ。はあ、なんかもうソロキャンでいい気もしてきた。