傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

何者かになる あるいは夢について

 中学生の娘の進路相談の件を職場の後輩に話すと、彼女はがははと笑って、先輩はいい親やってると思いますよ、と言った。
 ありがとう、でもわたしみたいな夢のない人間だけでは参考にならないし、夫も似たようなものだから、夢がある進路を選んだ大人の話も参考にしてほしくてね、まずはあなたかなと。

 後輩はわたしと同じ会社で働いているが、兼業ライターでもある。お芝居がたいへん好きで、舞台の専門誌や専門メディアに記事を書き、ときどき関連するエッセイなども執筆して、それでお金をもらっている。なお、弊社は兼業OKである。
 彼女はたずねる。ライターって夢、あります? あるんじゃないかな、とわたしはこたえる。好きなことを専門にして文章を書くんでしょ。夢がある。わたしでも名前を知っている俳優さんにインタビューしたりして、華やかだしねえ。
 
 後輩はほほえんで口をひらく。
 なるほど。ではクリエイター系ドリーミンジョブの話をしましょう。わたしが知っているのは文章を書く分野なので、それでいいですか。
 お金をもらって何かをする、いわゆる仕事にはいくつかの軸があります。まずはお金と福利厚生、それから可処分時間。自分がしたい生活をするための職という側面ですね。クリエイティブ一本だと、これは厳しいです。おおかた貧乏になります。作家になるには公務員になったほうがいいなんて話もある。池波正太郎なんかはそうですね。そんなジェネラルな才覚はないというのなら、先生とか。
 これは今に始まった話ではなくて、漱石も芥川も教師をやっていました。そこいらの大学にも教授兼作家や教授兼詩人がいます。文学作品の翻訳家も教師が定番です。もちろん誰もが柴田元幸堀江敏幸ではないから、下手の横好きを自認するアマチュア作家の先生もいっぱいいるって聞きました。それもちょっとかわいいですよね。
 社会科学や理系の研究を本業にしている作家もいます。あと医者。医者の作家は一定数いる。ペンネームを公表していない医者や教授もいるだろうから、わたしが知ってるよりずっと多いんじゃないかな。出版社の編集者は意外と少ない気がするけど、います。
 うん、ある意味、夢がない話です。
 わたしは兼業会社員のライターです。こちらのほうが目指しやすいんじゃないかな。趣味と実益を兼ねた副業路線。
 フリーライターをしながら好きなものを書く人もいます。企業から継続案件をいくつかもらって、ある程度の収入を確保しつつ、自分が書きたいものを書いて売り込む。フリーランスは会社員にはない難しさがあるから、わたしは会社員を選んだけど、ライター友だちには会社員もフリーランスも両方経験している人がいます。
 でもこれはいかにも地味です。中学生は憧れないと思う。
 華やかなのはSNSで有名になってから本を書く路線です。昔のタレント作家のようなやり方がSNSで身近になったんです。しかしSNSで有名になるのも大変ですよ。それに、この路線だといわゆる私生活切り売り問題、若いうちだけ消費される問題が発生します。それが上手で楽しめる人ならいいんだけど、自傷行為の生中継になるケースもあるので。

 夢はね。
 後輩は言う。
 夢というのはね、理不尽なものなんです。内容が不明瞭だったり、好都合だったりするものなんです。白馬の王子様には顔がないんです。根拠と具体性と実現可能な計画をそなえているのは、夢ではないんです。わたしが話したようなことは、夢じゃないんです。
 だからしっかり進路を考えるのは夢を見なくなることだと、わたしは思うんです。中学生には「しっかり」加減を、少し緩めてほしいんです。そうでないと可能性を低く見積もった人がその中に自分をおさめようとしてしまう。本当は人知れない才能を眠らせていて一発逆転するかもしれないのに。
 わたしの勝手な願望なんですけど、理不尽で都合のいい夢を見ることができるなら、それを捨てずに持っていてほしい。自分はいつか自分の中の宝石を見いだされて何者かになるんだと、それで一発逆転なんだと、子どものうちは、夢見ていてほしい。大人にだって、小さい夢を見つづけてほしい。夢の対象は仕事でも恋愛でも革命でもいい。そんな都合のいい話はないと、生活を成り立たせながらこつこつやっていくのがいいんだと、そんなふうにばかり、思わないでほしい。
 夢を見ないことは、いいことではない。大人にだって、いいことじゃないです。大きな選択をするたびに、捨てた選択肢の先に夢の影を見て悲しくなる、そういう人でいてほしいんです。

 わたし?
 わたしは夢を見ないんです。先輩と同じくね。