傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

筋肉がわたしを裏切った

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのためにわたしの筋肉量は大きく変化した。

 健康で仕事にも支障がないことをありがたいとは思うけれど、二年近くも楽しみを奪われればもちろん退屈する。わたしはルールや決まりがあれば守るたちだから、この二年は友だちに会う機会をぐっと減らしたし、旅行もしていないし、帰省も控えている。恋活だってアプリでやっていて、初回デートはだいたいZoomだ(わたしはいきなり対面するのがつらく感じるので正直そのほうが助かるのだけれど)。
 そうするとどうなるか。
 退屈するのだ。

 人生のタスクを進めているとわたしは安心する。子どものころからずっとそうだった。子どものころから勉強にも友だちづきあいにも手を抜かなかった。人並みに楽しく充実した学生生活を送り、入念に自己分析して業界研究して第一志望の会社に就職した。三十歳までに結婚式を挙げたいから二十六歳の今から現実的な条件を考えて結婚願望のある二十代男性にしぼって恋活をしている。貯金ももちろんしている。キャリアについても真剣に考えて社内試験の準備などしている。
 そんなの当たり前だと人は言うかもしれない。私も当たり前かなと思う。でもまわりを見るとけっこうそうじゃない子がいる。夢のために始めたはずの仕事がブラックすぎて夢どころじゃなくて病んだり、結婚したいと言いながらセフレに沼ったり、ちゃんとお給料もらってるはずなのにいつもお金ないって言ってたり。
 結婚したければ結婚したい男性を探す。夢があるなら夢を潰すようなブラック企業に入らない。お金に余裕を持ちたければ無駄遣いしない。当たり前のことだ。
 でもそういう当たり前の生き方をつまらないと言う人もいる。前彼がそうだった。結婚願望があってわたしよりちょっと上の収入で見た目の釣り合いもとれていたのに、「自分の人生がこれで終わりと思いたくない」とかなんとか言ってた。なにそれ。わたしは終わってなんかいない。
 友だちにそのことを相談した。言いにくいんだけど、と彼女は言った。リナちゃん正しすぎるんだよ。前彼の言い方はひどいけど、もしかすると「ぜんぶ予想がつく人生は息苦しい」と言いたかったのかもしれないよ。わかっていてもできないことはある。結婚願望と刺激的な恋愛したいっていう願望を両方持っててうろうろしてる人、けっこういるよ。わたしだってダイエットしたいのに甘いもの食べちゃう。そういうものじゃない?

 そういうものじゃあない、とわたしは思う。優先順位をつけてがまんして努力するものだと思う。
 思うけど、みんなはそうじゃなくて、そうじゃないほうが素敵とほんとは思ってるんだ。だって前彼はそういう子のほうを好きになったし、友だちもどこかでわたしのことをつまらないと思っている。
 世の中はそんなに単純じゃない。そうは思う。努力が報われないことだってある。もちろんある。でも報われるべきだと思う。どうしてもそう思ってしまう。計画どおりにものごとが進まないとほんとうにイライラしてしまうし、自分の予定が崩されることがなにより嫌いだし、だから疫病禍なんて「どうしてわたしが生きてるうちに来たんだ」と思ってる。もちろん、口ではしかたないねって言って、ステイホームも充実させてるようにふるまっているけれど、ほんとうは、ほんとうは。

 そしてわたしは筋トレにはまった。
 最初はボディメイクが目的だった。最近はただ痩せているより健康的に筋肉をつけてボディメイクするのがいいということになっているからだ。わたしはいつもまわりの平均よりちょっといい状態でいたい。いちばんではなくて。目立つのは嫌いだ。筋肉がつきすぎて女性らしくない状態はよくないと思う。思うんだけど、そんなの飛んじゃった。
 筋トレ楽しすぎ。努力が結果に結びつきすぎ。ごはんおいしすぎ。QOL上がりすぎ。夜よく眠れすぎ。むかつく同僚も「わたしより弱そう」と思えば気にならない。最高か。

 ああ、でも、このままでは、わたしは、「平均よりちょっといい」どころではなくなってしまう。わたし、女のわりに筋肉つきやすいみたい。このままではめちゃくちゃ筋肉質になってしまう。しかもちょっとそうなりたい。いや、なりたくない。筋肉が裏切らないなんて嘘だ。筋肉のせいで人生がおかしくなってしまう。
 友だちに相談した。そうすると彼女はちょっと笑って、わたし前よりもっとリナのこと好きだよ、と言った。