傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

年末年始バー願望

 就職した次の年から、年末年始はだいたい海外にいた。
 わたしは高給取りでもお金持ちの子でもない。基本的に倹約家で、旅行にばんばんカネを使うのである。年末年始の旅費は高額で、だから旅行好きの中には「正月に旅行するものではない」と言う人も少なくないのだが、わたしにとっては旅行ができること以上に年末年始をやらなくて済むことが重要で、そのためならお金をたくさん払ってもかまわないのだった。

 「年末年始をやる」って何よ。
 友人はそのように尋ねる。そうさねえとわたしはこたえる。大掃除とか、暮れの元気なごあいさつとか、帰省とか、紅白とかその裏番組とか、おせちとか、お年賀とか、そういうの。わたし大っ嫌いなの。なんでかっていうと、わたしが生まれた家では、正月っていうのは、女の子どもは四六時中お年始のための労働をして、親戚どもに酌して媚び売ってセクハラに耐える、そういう期間で、夜中になってうっかり寝ちゃうと子ども部屋に入ってくるようなのもいて、襖に棒を突っぱって酔っ払いの進入を防ぐんだよ、ま、そうやって「愛想のない」状態でいすぎてもそのうち朝まで説教されて眠れなくなるんだけどね、で、世間ではそれが「正しいお正月」ってことになってた。ちゃんとおせちを準備してきちんと親戚にあいさつして、いいおうちですね、って。
 今は誰からも過度な家事労働や性的労働を強制されないし、眠らせない拷問とも無縁の環境にいますよ、でも、もうね、正月のアイコンが全部ダメなんだよ。そんで年末年始日本にいたら自分の嫌いなものがおめでたいものとしてしょっちゅう提示されるわけ。そんなの脱出するしかない。毎年毎年機長にメリークリスマスアンドハッピーニューイヤー言ってもらう。

 なるほどねえと友人はこたえる。わたしはお正月は普通に楽しい。帰省すると親がちょっとうざいな、くらいで。ほら、彼氏作らないのか結婚しないのかっていうやつ。あれはあった。でも親は、けっこう前に諦めたというか、察したっぽい。うちの親わりと子どもの結婚とか孫とかに執着しないタイプだったみたい。あとわたしのことけっこう理解してくれてるっぽい。助かる。わたしがダメなのは、クリスマスのほう。
 自分が恋愛しない人間であることは別に恥じてない。したくならないからしない。それだけ。よそのカップルはなんかかわいいなって思う。ふだんはね。でもクリスマスは、なんていうか、閾値を超える。わたしたちバブル期に小さい子どもだったでしょ、そのあたりの恋愛万歳コンテンツの刷り込みが取れない。「大人になったらこういうことしなくちゃいけないのか」と思ってた。いやだけど大きくなったら変わるのかなって。それもいやだなって。気持ち悪いなって。
 変わらなかったけどね、その点においては。「そのうち恋をするわよ」なんて気持ち悪いせりふ、何度言われても「うっせえ」だよ。小さいころからずっと。

 別の友人が言う。いやあたいへんだね二人とも。わたしはそういうのはないなあ。でも夫の実家には行かないけどね。ううん、働かされるとかはないの、いい人たちですよ、でも別に友だちとかではない。わたしが自分で選んだのは夫だけで、あとのつきあいは任意にしたい。だから行かない。それをとやかく言う人はいなくもない。旦那さん理解あるんですねとか言われる。そういうちょっとしたイヤ感はあるな。

 年末年始が十全に楽しい人って、いるのかな。わたしがそのように言うと、彼女たちは笑って、年末年始は楽しいものでしょ、と言う。シンプルに仕事が休みなだけで楽しいじゃんねえ。あんただってイルミネーション観に行ったりするじゃん。
 まあねえ、とわたしは言う。キラキラしててきれいだから行く。観たらきれいだなと思う。でもそれはそれとして正月は具合悪くなっちゃう。だからさ、はたから見たら楽しんでる人だって、ちょっとしたイヤ感があったり、人によっては具合悪くなるようなしんどさを抱えてたりするのかなーって、そう思うわけよ。
 筋トレマニアは三が日ジムが閉じて憂鬱だろうし、お正月になるとやさしかったおばあちゃんのこと思い出して泣いちゃう人もいるだろうし、地元のいつメンとなんとなく気が合わなくなってきたなーって人もいるだろうし、年末特番で好きな番組が休みになっちゃった……とかもあるだろうし。
 わたしさあ、そういう人が来て話す年末年始バーをやりたいんだよね。赤の他人だから話せる重い話も、「仕事納めが終わると近所の犬友がみんな犬を連れて帰省するからうちの犬がさみしがる」みたいな話も、聞きたいんだよねえ。