傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

自炊人間と全裸人間

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために僕の勤務先でもリモートワークが導入され、この一年半のあいだは週三回程度出社し、二回程度在宅勤務をしていた。
 僕は食生活に重きを置く人間である。当然のように料理ができる。何はなくともメシがまずいと人生の意味がわからなくなるからだ。ふだんは「人生に意味などない」と威張っているので、「人生の意味とは」などと考えはじめる段階でよほどの重症である。
 とはいえ僕もまた長時間労働が常態化した現代日本の会社員であり、休日はともかく平日の晩飯作りにかけられる時間は一日平均三十分程度である。スーパーマーケットへの買い出しの時間を入れるともっと必要だ。リモートワークが導入される前は休日や夜中におかずを作り置きしていた。「召し上がれ今日の俺」と感謝の意を述べて食い、「ごちそうさま一昨日の俺」と言って食事を終えるのである。
 その生活には満足していなかった。冷凍庫はいつもパンパンだったし、繁忙期に作り置きのおかずを腐らせては膝から崩れ落ちていた。自炊してるのに作りたてが食えないこともしんどかった。冷たい常備菜ならともかく、主菜において作り置きで作りたてに勝てる調理者はなかなかいない。
 なんというひどい会社。なんというひどい労働文化。すべては社会が悪い。ああ、俺の人生って何なんだろう。そう思っていた。

 そうしたところがリモートワークの導入である。週二回も家で仕事ができるのだ。僕はあっというまにその生活に適応した。リモートの日は交通時間のぶんベッドでダラダラする。昼休みには近所のランチを開拓し、帰りにスーパーに買い出しを済ませる。仕事が終わったら大量の米を炊きつつ数日分の副菜と二日分の主菜を作り、作りたてを堪能する。
 こうしておけば出社日にどんなに忙しくてもコンビニのおにぎりを腹に入れておけば帰ってからまともなものが食える。冷蔵庫にいつも副菜のタッパーがあるのは素晴らしいことだ(ちなみに今のラインナップは蕪の葉とシラスのゴマ炒め、山形のだし、キャロットラペ)。冷凍庫に常にベストな状態の冷凍米があるので心はさらに安らか、仕事でいやなやつに頭を下げているときだって「今日のメインは牛肉とセロリのオイスターソース炒め。帰宅後十五分で完璧な食卓ができあがる」と思えばどうということはない。

 そういう話をしたら、親しい同僚が完全に引いていた。引いていたが、そいつはリモートワークの日には基本的に全裸で過ごしている。もともと自宅では裸族なのだ。「裸でいることが自然な状態、服を脱げばだいたい幸福、着ているとうっすら不幸」というのがやつの言である。まったく意味がわからないが、全裸でいれば謝罪メールを書いていても心の負担がないというのは、まあ少しわかる。僕はしないけど。
 裸族は極端な例だと思うけど、週に五日、場合によってはもっと、働いているあいだじゅうどこかの誰かが作った「正しいふるまい」をやらなければならないなんて、よくないことだったんだな、と思う。しかたないことだと思っていたけれど、リモートワークでも仕事がぜんぜん滞らないことを考えれば、しかたなくはなかった。なんならリモート導入で会社に対する愛着が増した。昼休みにスーパーマーケットに行ける生活をさせてくれる会社なんて好きに決まってるじゃないか。

 さて、そのような生活にすっかり慣れてしまった現在、僕のもっとも大きな懸念事項はフル出社に戻らされることである。「感染リスクが下がったと政府が言っているから全員出社させろ」と言っている管理職が複数いるのだ。なんでだよ、今のままでいいだろ。
 僕がそう言うと、全裸同僚はこう言った。あのさ、家にいてメシ作ったり裸でいたりするような、なんていうか自分を慰撫するおこないができない人間がこの世にはいるんだよ。そいつは家にいてもぜんぜんおもしろくないの。会社に行きたいの。部下にも全員出社してほしいの。業務だけが回っていればいいとは思えないの。なんでかっていうと部下が自分を気にして萎縮したり反発したりするのが楽しいからなの。露骨にご機嫌とるような部下もいるけど、それだけが必要なんじゃなくて、自分の影響力を日々実感することが重要なの。
 僕は仰天して、なんで、と言った。全裸同僚は、ずっと服を着ているからだ、と断定した。いやそれはぜったいちがうと思うけども。