傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

お父さん、どうかそのままで

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。現在はワクチンが供給されて接種が促されている段階である。
 僕の父親は今どきの感覚ではそれほど高齢というわけではないが、PCを使ってワクチン接種の予約ができるとは思われなかったから、僕が代わりに申込みをした。「ワクチンの予約を取っておいたから」と言うと、父親は電話越しに僕を怒鳴りつけた。想定内である。

 父親は誰かに何かしてもらうとだいたい「余計なことを」という態度でいる。正確には「してもらった」状態が顕在化されると不機嫌になる。たぶん、父親の世界では、川が流れるように自分に都合のよい状態が整えられているべきなのである。「できないだろうと思って代わりにしてあげた」という僕の態度は親に恥をかかせようとしているようなもので、言語道断なのだ。
 父親は年をとって、あるいは疫病禍の影響でそういう気質になったのではない。それが通常営業というか、僕が覚えているかぎりはそういう人間である。母親はいかに父親の気に入るように父親の世話を焼くかということに腐心して、十年前に人生を終えた。平均寿命よりかなり早く人生を畳んだのは、四六時中父親の不機嫌のタネを探し回って先回りして対処していた、その心労が祟ってのことではないかとも思う。
 思うが、だからといってそれについて父親を恨んでいるのではない。母親は父親から離れて生きることも可能だったのにそうしなかったのだから、本人がそのように生きたかったのだろうと思う。本人はぜったいにそうは言わなかったけど。ていうか、選択するとか意思を持つということを、たぶん一回もしなかったんだと思うけど。

 母親が死んでから父親は近所のスナックのママに身のまわりの世話をさせていたが、疫病を理由にして彼女も去ったようである。退職して家も売りはらってマンションに越してしばらく経つから、いよいよ金がなくなったのだろう。そうなったらスナックのママにとっても父親の世話をするメリットはない。
 そんなわけで父親は悲憤慷慨し、近ごろは宅配弁当(もちろん僕が手配したものだ)がまずいと言い張って業者さんに迷惑をかけている。僕は恐縮して業者さんに謝って宅配停止の申し入れをしたが、担当さんが天使みたいにやさしい人で、「そうは言っても召し上がっているようですから」「今からご自身でお食事を用意するというのは現実的でないでしょうから」と宅配を継続してくれている。

 父親のこういう性質を「昔の人だから」という親戚があるが、昔というほど昔の人ではない。父親の世代でも自分のことは自分でやる人間なんかいくらでもいる。僕の父親は身のまわりのことができないのではない。「目下の誰かが自分の身のまわりの世話をすべきであって、そうでないなんて間違っている」という考えを捨てられないのである。
 父親はたぶんワクチンを打たない。道に迷っても人に尋ねられないのだ(母親が生きていたときは母親が道を尋ね、母親のナビゲーションが悪いと怒鳴っていた)。ワクチン接種会場でおろおろするなんて絶対に嫌だろう。
 でも僕は父親を迎えに行って接種会場まで付き添いしようとは思わない。健康で長生きしてほしいなんてとうの昔に思えなくなった。残念ながら僕の父親は威張り続けていないと死ぬタイプの生物だった。そして、愛さなくちゃいけないと思いこむほどのかかわりもなかった。
 僕は僕の母親と違って父親から威張られることを生きる手段にしようと思えない。父親におもねっていれば経済的にはもっと楽ができたかもしれないが、どうしてもその気になれなかった。父親のああした性質の要因のひとつはたぶん「男だから」で、性染色体XYの人間としては「一緒にすんな、おぞましい」という嫌悪感も感じる。もっとも、僕が女だったら生育上もっと強い負荷がかけられただろうし、大人になってからの「世話をしろ」というプレッシャーはさらに強かっただろう。男に生まれてよかった。

 そういうわけで「お父さんが心配じゃないの」と電話をかけてきた親戚には「心配じゃないです」と言いたい。実際には「僕もできるかぎりのことをしているのですが」と答えたんだけど、その実態は「世間からギリギリ『息子さんも気にしてあげてたんだけど』と免罪される程度のことをしています」である。僕がいま守っているのは父親の命ではない。自分の最低限の評判である。
 今更父親が改心したりしたら面倒だなと思う。僕の感情を動かさないあの性質のまま、天寿をまっとうしてほしいと思う。お父さん、どうかそのままで。