傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

おしゃれしないと死んじゃうの

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのためにわたしの勤務先でもテレワークが常態化して、人によってはフルリモートである。そのためにまいってしまった社員がけっこういる。彼らは口々に言う。些末なコミュニケーションがないことの非効率性について。仕事時間の区切りがつかなくなる危険性について。あるいは、家庭用のダイニングテーブルで長時間PCをたたくことの健康上の問題について。
 わたしはそれらについてできるかぎり解決し、あるいは解決できないと告げる。そういう係なのだ。わたしは非効率性の内容を精査する。わたしは交通費を廃止する。わたしは代わりに「在宅勤務に係る手当」を支給する。わたしは常よりこまかく面談をもうける。業務にまったく関係なくてもいいからリモートをやっていてしんどいことを教えてくださいと言う。参考にしたいので、と。
 彼らは口々に語る。運動不足による宿命的な体重増加について。親の帰宅までひとりで過ごせていたはずの小学生が勤務中にかまってほしがることについて。あるいは親が在宅しているとうるさがる高校生について。何ヶ月リモートワークを続けても一人暮らしの生活リズムができあがらないことについて。

 わたしはそういう話を聞くのがけっこう好きである。わたしは疫病禍の前から会社主導の飲み会なんかしなくていいと思っていたタイプだが、同じタイプだと思っていた若手社員が「出るか出ないかは別としてですね、年に一回の歓送迎会はあってしかるべきですよ、出て行った人が出て行ったっていう実感がないですもん、個人的にさよならとか言う関係でもないし」と言ったときには「たしかになあ」と思った。この三月末の退職者はなんというか、まだそこいらにいそうな気がするのである。
 そうやっていろんな話を聞いていると、ぜんぜん普遍性のない話もあるのだが、普遍性がないからこそおもしろいということもある。個人的にいちばん印象深かったのは「服装を考えずにいたら具合を悪くした」というものである。

 彼女はたいへんにおしゃれな社員である。定番を持っているタイプのおしゃれさんではなくて、季節感とバリエーションにすぐれるタイプだった。もしかすると完全に同じアイテムの組み合わせは一度たりともしてきていないかもわからない。わたしはそれほどファッションに熱心なほうではないが、それでもよく感心していた。コーディネイトだけでなく、スタイリングまでよくて、シンプルな服装のときにも「もっとこうしたほうがいいのに」というところがない。髪に至ってはどんな頻度で美容室に行っているものかわからなかった。
 彼女のファッションは身だしなみだとか趣味だとかの範疇におさまるものではなかった。言葉の正しい意味での「スタイル」、生き方の一部といってよかった。別棟の会議室に行くときにコートを着る者と着ない者があって、皆が数分の寒さを取るか面倒さを取るかという話をしている中、着ない派なんですねと話を振られて、「会議室にクロークがないから」と答えた人である。彼女の世界においてコートを椅子の背にかけるのは非常事態なのだ。クロークがなければ気温が低かろうと風が強かろうとコートを着ない。優雅かつ強靱、とわたしは思ったものだ。

 そんな彼女であってもリモートワークだとファッショナブル度合いが下がったようだった。なにしろ少なくとも靴を履きません、と彼女は言うのだった。それだけで何割かのテンションと社会性が落ちます。わたしも人目がないと「まあいいか」と思って下半身楽な格好にしたりしていました。ええ、わたしだってそう思うんです。ひとりだったらいいかって思うんです。そうしたらですね、半年かかって徐々に食欲が失せ、肌が荒れ、些末なことも面倒に感じられるようになり、夜の眠りは浅く、好きな映画を観ても楽しくならないのです。

 わたしはなんだか感心した。人間、何を人生の重要事項にしているかわからないものだ。本人だってそこまでファッションが生活に必須だとは思っていなくて、だから手を抜いたのだろうに。
 でも今はだいぶ元気になりました、と彼女は言う。インスタとかやったんですか、とわたしは訊く。いいえと彼女はこたえる。インスタは前からやっています。フォロアーけっこう多いです。でもあれは細部をごまかせてしまうし、なにしろ一瞬ですからね。わたしは身支度をしたら「自主通勤」してるんです。駅前まで歩いて行って、戻ってくるんです。
 それで元気になったのですかと問うと、彼女は画面越しでもわかる得意げなほほえみで、ええ、と言った。