傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

雑な家族は平和に暮らす

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために家にいる時間が増えて、いわゆる行動制限が解除されたあとも疫病前よりは家にいる時間が増えた人が多いように思う。リモートワークが定着した企業も少なくないし、まだ用心している人もあるためだろう。年をとったこともあって、人に会うときランチやお茶を選ぶことも増え、飲み会は遅くても終電解散、最後にレイトショーに行ったのはいつのことか思い出せない。単純に疲れちゃうのである。
 そうして家にいる時間が増えると、周囲の夫婦から「けんかが増えた」と聞くようになった。その原因の多くが家事である。家事が原因で離婚した人さえある。まあそれはもともと家事をやらない夫がずっと家にいて家事を増やすので妻の堪忍袋の緒が切れたという、わかりやすいパターンなのだけれど、双方が「自分は家事をしている」と思っていても諍いが起きるようなのである。「どうしたらけんかをしなくてすむか」と訊かれて、わたしはやや恥ずかしくなった。だってうちの夫婦が家事でけんかしないのは、立派だからじゃなくて、生活に対する意識が低いからなんだもの。

 洗濯は全自動洗濯乾燥機を使って各自でおこなう。洗濯別式は結婚当初に夫が提案したもので、「パンツは尊厳であり、ロマンである。したがって各自で洗いたい。子どもができたら子どものは洗うけど」とのことだった。わたしとて己の下着を夫に洗ってもらうなんて超イヤである。それを見ていた娘も、中学校に上がる前の段階で「自分でやる」と言いだした。彼女の場合はプライバシー感覚というより、自分のおしゃれ着をずぼらな両親に皺だらけにされるのがイヤだったらしい。誰に似たのか、たいそうおしゃれなのだ。
 ふだんの掃除は掃除ロボットのボタンを足で押すだけである。その日最後に家を出る人間がやる。リビングの床にものを置くと掃除ロボットにつつきまわされ、あるいは吸い込まれる。娘の部屋は娘の管轄である。整理整頓の手伝いをやめるのが早すぎたのか、一時期わたしと夫から「熱帯雨林」と呼ばれていたが、今は夫婦の寝室よりずっとましである。
 寝室は右半分が夫、左半分がわたしのスペースで、床掃除は夫がやる。というのも夫は本来散らかし屋であり、自分だけのスペースがあるとものをためこむタイプなのだ。各自のスペースに置いているリモートワーク用の小さなデスクも、夫のだけがカオスである(ベッドの上にものを移動させて作業し、終わったら戻している。かえって面倒ではないのか)。それでときどき夫が床のものを片づけて掃除ロボットを走らせている。人間のベッドルームというより動物の巣に近い。
 水まわりは防汚製品を駆使した上で、ときどき適当にこする。トイレブラシやお掃除シートはもちろん使い捨てのやつである。
 そして毎月「掃除デイ」をやる。拭き掃除や磨き掃除、季節ごとの整頓をする日である。この日は家庭の重要なイベントであり、あらかじめ予定され全員の出席が確認されていて、終わったらお寿司とかを食べに行く。ノー掃除・ノー寿司である。
 料理は当番制だ。わたしが平日に週二回、夫は週末のみ。夫は週末その日の食事を作るというより、作り置きをする。主に野菜の副菜である。わたしがあれこれ作って出す日以外の平日三日間は、夫の作り置きと、焼くだけの何か(干物とか味のついた肉とか)と、切れば食べられる生野菜や納豆や豆腐を組み合わせる。冷凍食品やできあいの惣菜も使う。わたしたちはそれを「雑メシ」と呼ぶ。雑メシの素材は週末に夫婦または一家で買い出しする。できなかったらネットスーパーである。

 人々の話を聞いていると、どうもみんな家事にけっこうな時間をかけている。巣みたいなとこで寝てなくて、どこもかしこもきれいで、雑メシを食べていないのだろう。もやしを袋ごとレンチンしてぽん酢とかつおぶしをぶっかけて出さないんだろうし、キムチと鯖缶と少量のごま油を混ぜただけのものも食べないんだろう。あれけっこううまいんだけどな。

 娘が小さいときにはけっこう必死に家事育児をしたが、彼女ももう中学生、そんなにまめなお世話はいらない。雑なわたしと夫が育てた結果、すでにてきとうな昼食を作るスキルがある。
 そのような娘に、ひとつの質問を投げかけた。ていねいな暮らし、ってどう思う。
 娘はわたしをちらりと見て苦笑した。そして言った。まだ習ってないな、そのイディオム。