傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

ご近所にうちが陽性だってわかったらどうするの

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。この「よぶん」の中身の判断はそれぞれである。疫病の流行自体はまだまだ続いており、何なら去年の同じ時期より患者数は多いのだが、報道など見ると、今年の連休は「ある程度は出かけてもいいのではないか」というトーンなのだった。実際のところ、私の周囲でもあれこれ気遣いながら出かける人が多かったし、私自身も遠出はしないもののいろいろな人に会った。二年ぶり三年ぶりの再会が連続する、珍しい連休だった。
 そのうちのひとりである友人は、いい、愚痴るよ、と宣言し、そのわりに愚痴っぽくない口調で、彼女の両親について語った。私の記憶によれば、彼女の父親は小さいながら実績ある企業の社長、母親は昔ながらの「社長夫人」をやっており、なかなかパワフルな人たちで、彼女はときどき頭を抱えていた。それから彼女には妹があって、東京の郊外で結婚相手とともにブーランジュリーを経営している(彼女は簡潔に『パン屋』と呼ぶ)。あれこれ聞いてはいたものの、「なんだかんだと仲の良い家族」という印象だった。

 友人は国際協力系のNGOで留学生の受け入れや支援に関する仕事をしている。疫病によりいったんは人の行き来が途絶え、その後は国や地域ごとに大量の情報を把握して対応しなければならなくなった。非常に神経を使う、と彼女は言った。それはそうだと思う。管理職になったばかりのタイミングで迎えた事態だからなおさらのことである。
 その事務所に両親がやってくるのだそうだ。来るなと言っても来る、と友人は無表情で言う。人間は「呆れる」を長期間続けるとその対象に表情を作らなくなる。
 彼女はこまめに両親に連絡している。住処もさほど遠方ではないから、定期的に訪ねてもいる。しかし両親は突然職場にやってくる。連絡なしで来られても困る、せめて自宅にしてくれと言ってもなぜか聞き流す(自宅にも来るのだが)。「トイレ貸して」などと言ってにぎやかにやってくる。人の出入りにことのほか神経質になって、留学生のたまり場機能もやむなく停止している事務所に。
 わたしとうとう怒鳴ったの、と彼女は無表情のまま話した。ドアの前で仁王立ちになって「帰れ」って。ちなみに妹はもっと前に同じことをしたのだそうよ。そりゃそうだ、食べ物屋の店先で延々としゃべるなんて、営業妨害だよ。
 彼女の両親はほどなくそろって疫病の陽性判定を得た。幸い少し発熱した以外の症状はなかったのだが、そうなると彼女の心配は両親が出歩くことである。もちろん両親は元気に出歩いた。彼女は両親にネットスーパーについて説明し、自分が全部やるから家にいて食料品を受け取ってくれ、ほしいものがあればなんでも届けるから、と訴えた。すると彼女の母親は言った。でもねえ、牛乳一本買うのに配達なんてねえ。今はそれが必要なのだと彼女が強く言うと、受け取らないわよと母親も声を荒げた。迷惑よ、急にネットスーパーなんか来て、ご近所にうちが陽性だってわかったらどうするの。

 彼女は話の区切りを示すように薄く笑った。おもしろそうではもちろんなかった。翻訳するなら「なさけない」あたりか。私は目で続きを促した。続きがあるはずだ。
 妹と話したんだけど、と彼女は言った。あんな人たちだったっけ、って。でもたぶんあんな人たちだったんだよ。彼らが父の仕事上必要な「良識」をやっていたのと、わたしたち姉妹が都合のいいところしか見ていなかったから、気づかなかっただけで。父が引退して母も「社長夫人」から引退して、年をとってがまんがきかなくなって、それで中身が剥き出しになったんだ。たぶんそういうことなの。
 両親のおかげでわたしはお金の心配もなく留学して、妹はパリで修行して、そうだよ、わたしたちの人生は実家の太さで成立したといっていい、でもわたしの事務所にも妹の店にも彼らを入れてやる必要はないとも思う。

 もちろん、と私は言う。それから少し考えて、言う。私は個人的に「実家が太い」っていう言い方を好まないな。なんだか下品だよ。あなたがたはご両親のおかげで希望する教育を受けられてよかったね。ご両親に感謝しているのもすばらしいね。だからといって業務妨害をさせてあげなくてはいけないということはない。そりゃそうだ。
 あのさ、親に何もしてもらえなかった人も、親にいっぱいしてもらった人も、変な罪悪感や劣等感を持つ必要いっこもないよ。そんなの選べないじゃんねえ。