傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

わたしの弟はワクチンを打たない

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。最初の通達から一年あまり、何度目かの通達のさなか、疫病のワクチンが提供されはじめた。それで全員が打つかといえば、そうではない。わたしの弟は打たないという。そして、わたしはそれを責めることができない。

 弟は東京で一人暮らしをして、アルバイトで生計を立てている。今日働かなければ来月の家賃があやうい。運も悪かったし、弟の思慮が足りないところもあったと思うのだけれど、とりあえず自分で生活はできているのだし、人に大きな迷惑をかけているわけでもなし、責められるようなことではない。
 わたしはそう思っているのだが、両親は「恥だ」と思っている。自分たちの助言をふいにして大学進学をせず、夢みたいなことを言っておかしな企業に就職してすぐに辞めてその日暮らしをしている、そんな浅はかな息子は心配するのも癪だと、そういうふうに思っている。
 そうはいっても故郷に帰って泣きつけば助けてくれそうではあって、でも、弟はそれを望まないだろう。本格的に困窮しても親を頼らない可能性が高い。わたしが電話をかけて「いざというときにはお父さんやお母さんには内緒でお姉ちゃんがお金を貸すから」と言ったときにも黙りこんでいた。

 そんなわけで体調不良は弟の敵である。数日働けないと次の月の生活にダイレクトに影響する。自分の都合で休んでアルバイト先を失うことはもっと恐ろしいようだ。
 わたしは自分の弟を、両親が思うほど浅はかだとは思っていない。でも経済的な余裕のなさがどれだけ人間の視野を狭くさせるかはよく知っている。
 お金がないとよぶんな支出をしてしまう。お金がない状態でストレスが強くなれば理不尽なお金の使い方をしてしまう。追い詰められた人間をなぐさめてお金を出させるサービスに大量のお金を落とすことさえある。
 コンビニで食べ物を買うのは割高だ。スーパーマーケットで買い出しをして計画的に自炊したほうがよい。家計が苦しいなら衝動買いをしてはいけない。お金を払って交流を買ったり、射幸性の高い娯楽につぎこむなんて論外だ。
 これらは正しい指摘だ。しかし役に立たない指摘でもある。経済的に困窮した状態でしっかり倹約して無駄なく計画的に家計を運営できる人間は実はそれほど多くない。一部の人は借金してでも誰かと会話したり、認められたり、瞬間的な達成感をほしいと思ってしまう。恒常的なつらさを紛らわせてくれたものがあれば、簡単に依存してしまう。それは弱いからではない。期間限定でない、希望のすくない貧しさに陥れば多くの人間が多かれ少なかれ非効率的なお金の使い方をするものだと、わたしは思っている。だから弟がめちゃくちゃガチャを回したり動画配信者にお金を払っていたりしても驚かない。

 従前からそう思っていたから、自分がワクチンを打ったときにも「弟は打たないかもしれないな」と思った。ごく少数とはいえ重い副反応のリスクがあり、けっこうな確率で軽い(労働に影響する程度にはきつい)副反応が出ることがわかっていえる。そして今、少なくとも自覚できる範囲では、自分は病気ではない。実際のところ、弟は電話の向こうから「打たない」とつまらなそうにこたえた。
 弟に社会正義の感覚がないのではない。弟がまわりの人間を思いやっていないのではないーーたぶん。もともと近視眼的な人間だったのでもない。
 貧しかったらわたしだってそう考えたんじゃないかと思う。
 そして、ワクチンを打つ打たないは個人の自由でもある。

 もちろんわたしはとても心配だ。弟が心配だ。わたしの弟はやさしい子どもだったし、思春期以降はそっけなくなったものの、八つ当たりをするような少年でもなかった。自分の意思をちゃんと持っている。いわゆるブラック企業に就職してしまったのは運が悪かったけれど、自分でちゃんと辞めた。将来の夢やビジョンはたしかにあまり現実的でない、ふわっとしたものだったかもしれないけれど(だから理念を強く打ち出す企業が魅力的に見えたのだろう)、そんなの責めるようなことじゃない。
 わたしのまわりにワクチンを打たないなどと言う人はいない。打たない人の内心が想像できないという空気だ。そういう人を少し軽蔑しているようにも見える。
 わたしは「ワクチンを打つのが当然」の側にいるのがきっと安全なのだろう。でもそうしたらわたしの小さな弟が、今よりもっと遠くに行ってしまう。