傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

家の女

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。だからわたしは行くところがなくて、ただ走っている。

 わたしが十代だったころ、若い女は将来結婚すると決まっていた。わたしは短大を出て大企業に就職してその職場で結婚して「寿退社」をした。そして子どもを産む予定だった。婚家は都内の、政治家や芸能人の屋敷はないけれどそれなりの「ランク」の住宅街の一軒家で、子ども部屋候補としてリフォームされた部屋がふたつあった。

 わたしはとうとう妊娠することがなかった。それが誰のせいかは知らない。知ることができる時代でもなかった。それを甘えと今の若い人は言うのかもしれない。そもそもそういう結婚をすべきではないとか、手に職をつければよかったのだとか、そのように言うのかもしれない。
 とにかくわたしには子がいない。

 子ができないがそれ以外に「目立った問題」がないために離縁することもできないらしかった。そうして夫はがったり老け込み、もともとこもりがちだった書斎で食事までするようになった。
 夫はわたしを殴ったことがない。だから悪い人ではないのだと思う。
 夫は結婚当初から、わたしが用件のない会話を持ちかけることを嫌う。夫はわたしの名を呼んだことがない。

 わたしがうんと若かったころ、わたしは美しかったのだそうである。それで夫がわたしを気に入ったのだそうだ。わたしは毎日実家の犬を連れて歩いて、足りないからひとりで走って、それだけで高校では陸上の都大会まで出た。のんきな時代だったからだと思う。
 わたしは暇さえあれば犬を連れて外を走っていた。犬が誰よりもわたしと感情をやりとりできる相手だったから。
 勉強はあまりできなかった。スポーツを続けたいなどと言っても誰も喜ばないことはわかっていたし、目立つこともよくない気がした。両親ははなからわたしを「片づける」つもりだった。その方針を悪であると断定することは、わたしにはいまだにできない。今どきの会社勤めのインテリの若い女の人を見て、自分に同じことができると思われない。

 子ができないことをあきらめたらしい夫から「趣味を持ってもよい」と許可されたので、安く済む範囲で登山をはじめた。わたしは細いと言われることが多いけれど、身体きわめて頑健である。実際に山に行ける回数は少ないけれど、身近なものを使ってトレーニングするだけでも楽しかった。
 なによりわたしは少々の「妻のこづかい」がもらえたことをうれしく思った。わたしがごはんをたくさん食べるので、舅と姑はそれが気に食わないようすだったのだ。わたしは舅と姑の目の届かないところでごはんをいっぱい食べてそうしてまた動き回っていられることを、何よりうれしく思うのだった。

 ある日、登山は楽しいかと夫が聞くので楽しいですとわたしはこたえた。一人でもかと夫は重ねてたずねた。登山はひとりでやるようにと厳しく言われていたからだ。わたしはこの機会を逃すまいと思い、珍しく一瞬で大量の思考を重ねて、言った。ほんのすこしさみしく感じます。もし犬を飼うことができたら、わたしの生活は完全になります。

 完全か、と夫はつぶやき、完全ですとわたしはこたえた。
 そしてわたしは犬を手に入れた。

 それから十数年が経った。わたしの生活はもちろん完全だった。わたしは自分の身体が求めるだけの運動をすることができる。わたしは運動に見合った食事をすることができる。朝の公園で犬仲間とおしゃべりすることができる。ときどき近郊の山に登ることだってできる。わたしにはそれでじゅうぶんだった。家にいない時間を確保できるなら、それで。
 犬が老いて視力をうしなったすぐあとに疫病禍がやってきた。

 犬は名を「ぐら」という。仲間と森の中を歩いておいしいごはんをいっぱいつくってみんなで食べる絵本の主役のひとりだ。子どもができたら読ませてやろうと思っていた。
 子犬のころは「ぐらちゃん」と呼んでいたけれど、その響きからあっというまに「ぐらたん」になった。ぐらたんのことは舅も姑も好きなようだった。彼らがこっそりおやつをやってもまったく太らないほどにぐらたんはよく運動していた。

 ぐらたんは老いた。もう走れない。疫病下では日帰りで都外の登山をすることも難しい。
 朝が来る。わたしはぐらたんを歩かせる。朝の公園にはぐらたんをかまってくれる犬がいっぱい来る。わたしの会話の九割はここでおこなわれる。わたしは帰宅する。家事をする。それからジョギングに出る。もはやジョギングのほかにわたしが家にいない理由はない。