傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

女のロマン

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために趣味の旅行を控えてはや三年目、子どものために近場のあちこちに行ってもレジャー費として想定していた出費は温存されている。
 わたしはお金のあれこれを考えるのがすごく好きだ。好きな言葉はコスパ、大学院生時代のアルバイトはファイナンシャルプランナー(趣味で勉強して資格を取った。なんなら学部生からできたはずだが、学部生だと顧客がつかない)、修士卒から総研につとめる職業アナリストである。友人が言うには「お金の話をしているときのあなたは輝いている。仕事の話をしているときよりも、家族の話をしているときよりも」だそうである。そんな。仕事も家族も愛しているのですが。

 ですがやはりカネの話は良い。カネ自体がめちゃくちゃいっぱいほしいというわけではない。それならもっとリスクを取って給与の高い仕事をめざしている。潰れそうにない会社に籍を置き、かつ転職しても評価されそうな仕事を積み重ねつつ、昼食はコンビニで数百円の堅実な生活をし、この二十年間銀行のATM利用手数料を支払ったことがなく(あんなに支払いたくないものはない)、その上で効率の良いお金の使い方を考えるのが好きなのだ。先日も友人との食事のあと「この店ではこの方法で支払うと数円トクなのでわたしが払う」と言って笑われた。あなた数円がほしいのではないでしょう、数円トクするのが嬉しいのでしょう。そう言われて「理解されている」と思った。

 しかしわたしとて常にコスパのよい生活をしているのではない。そもそもわたし個人のコスパを考えたら共働きで夫婦の収入がさほど変わらないのに家事を一手に引き受けるなんてことはしない。わたしは自分が好きになった男と結婚して子どもを持ちたかった。そしてわたしが好きになった男の中に家事をやる男はいなかった(なお、わたしは面食いであり、わかりやすくモテていて最近批判的に見られている「男らしさ」というやつがどうしても好きである)。だからわたしは男と同じだけ稼ぎながら男のぶんまで家事をする(育児はけっこうやってもらってます。「もらってる」という言い回しで女友だちの眉間に皺が寄ったりしてるけども)。コスパ、悪いですね。わかってるんだ。
 わたしがコスパを度外視するのはロマンに対してのみである。そのロマンが陳腐で前時代的で理屈に合わないことは承知している。誰かが作った「女の子」向けの物語から生まれた、わりとしょうもない夢であることはわかっている。でもわたしはやるのだ、女のロマンを。たとえば派手な結婚式。たとえばスイートテンダイヤモンド。

 そう、スイートテンダイヤモンドである。わたしたち夫婦は疫病下で結婚十周年を迎えた。わたしは粛々と資料を作成した。そして夫にプレゼンした。現在の家計状況、疫病下での支出の変化、スイートテンダイヤモンドを家計支出でプレゼントされたらわたしのやる気がいかにアップするか、プレゼントのシチュエーションはどのようなものを理想とするか。さらに、商品選出においては夫はまったく労力を支払う必要がないこと、座して待っていれば指輪が届くのでしかるべきタイミングで箱をぱかっとあければよいことを言い添えた。夫は了承した。
 それは果たしてプレゼントなのか、という疑問は受けつけない。

 そのようにしてプレゼントされた(プレゼントされたのだ。誰がなんと言おうとも)指輪を見せびらかすために友人を呼んだ。友人はわたしの需要を察知しているので「素晴らしいねえ」「デザインもいい」「よく似合っている」と絶賛してくれた。そのついでのように「ハイブランドだからあまり価値も落ちないでしょう」と言った。わたしはややうつむいた。なぜならデザインが好きで選んだその指輪は、メレダイヤがびっちりついたタイプだからである。
 メレダイヤを主とするアクセサリーの価格の大部分が手間賃だ。石そのものに価値があるのではない。リセールバリューを考えたら大きくて質のいい石を選ぶべきである。
 でもでも、とわたしは言う。かわいかったんだもん。わたしこれがいいんだもん。どうしてわたしの好みとリセールバリューが見合わないのかなあ。はあ。やっぱり大きい石がついてるのにすればよかったかなあ。

 友人はあっけにとられた顔をして、それからおおいに笑った。ばかだねえ、と彼女は言った。ほんとうに、ばかだねえ。わたしはあなたのそういうところが好きだよ。