疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために僕らは暫定的に今の相手だけを色恋の相手にすることに決めた。疫病のリスクを負ってまで新規のアフェアを探す気にはなれないし、探さなくてもあらわれるような状況でもない。
僕はつきあっている相手がいるとき積極的に他の男を捜したいタイプではない。ないが、超タイプの男から誘いがあって乗ったことはある。それに、つきあっている相手がいても「そろそろ終わりかな」と思っている段階では別の男と気軽に寝る傾向にある。そのなかから次の彼氏ができたりもする。僕はそういうのを「のりしろ」と呼んでいて、浮気にはカウントしていない。
僕の現在の彼氏に至ってはもっとアクティブというかラフというか積極的というか、一対一の恋愛関係を維持しながら常時ほかにひとりふたり楽しいだけの色っぽい相手がいるという立ち位置を好む男である。僕としてはそれがそんなにしんどいわけでもないので、「まあ彼氏は俺だしな」と思ってつきあってきた。
ゲイが全員そういうタイプというわけではない。もちろん。一対一の排他的な性関係を指向する者はとても多いし、そもそも性行為にあまり執着のない者や、ごく淡い接触で満足だという者もいる。あるいは一対一のカップル関係や情緒的な愛情とセックスを結びつけることをせず、あっけらかんと楽しんでいる者もいる。
しかし世界は変容した。罪のないアフェアは罪深い接触になった。それで僕らは暫定的に(性的にも)一対一のパートナーシップを締結したというわけである。毎週末をともに過ごし、たいていのことは話すというような、よくある関係である。
そんなわけで弟がミキに会いたいっていうんだけど。
彼氏がそう言うので僕はたいへんに驚いた。僕は幹久という名で、たいていの親しい人からはミキと呼ばれている。いやそんなことはいいのだ。そうじゃなくて弟って、おまえ、弟って。
僕の彼氏には二歳下の弟と十歳下の弟がいる。母親が早世したために、父親と大きい子どもたちがタッグを組んで幼児だった末弟を育てたのだそうだ。とくに長子で早熟だった彼氏は末弟の小学校の授業参観にすべて参加したという。途中までは高校生だったが、当たり前のように自分の学校を休んだそうである。
そうして一昨年、末弟が高校に入った年に、真ん中の弟に半同棲する彼女ができた。家族にも紹介して交際は順調、しかしある日突然、その女性は真ん中の弟の全財産を持って失踪した。疫病の流行が始まる少し前のことである。
このご時世、と老けたせりふを、末弟は使ったのだそうだ。できれば助け合って生きていきたいじゃん。兄貴の彼女連れてきてよ、いるんでしょ。
僕は男で、男が好きだから、異性愛者男性だという末弟くんの気持ちについて見当違いな想像をしているのかもしれないけれど、お兄さんの交際相手ですよと言って僕があらわれたら、かなりきつい体験になるのではないだろうか。
上の兄ふたりはよく覚えている優しかった母親のことを自分だけがほとんど覚えておらず、すぐ上の兄に彼女を紹介してもらって近い将来「お姉さん」なんて呼ぶのかなと思っていたら普通に悪人で、いちばん頼りにしている長兄の交際相手を紹介してもらったら髭が生えている。
まずい。それはまずい。僕がそのような見解を述べると、彼氏は太平楽な顔して、なんで、と言うのだった。ミキは俺の全財産持って逃げるの。
逃げねえよ。でも男じゃねえかよ。僕はそのせりふをぐっと飲み込み、それから言った。だって、そんな経験をしてきた子には、「普通」の「彼女」を見せてやりたいよ、僕は。弟くんだって「普通」がいいだろうよ。
すると彼氏は鼻で笑って、言った。そんなん言うなら「じゃあおまえが『普通』をやれよ」って言う。「ばかじゃねえの」って言う。まあ、ばかじゃねえと思うけど。
僕はそれを聞いてなんともいえない気分になった。もしも僕らが「この国に同性婚の制度があれば絶対に結婚していて、ほかの人なんか目に入ったことがないんです」と宣言できる間柄なら、まだなんていうか、末弟くんが少しは納得しやすいと思う。
でも僕らはそうじゃない。疫病以前にはそこいらへんの別の男と寝たりしていた。それを悪いとは思っていない。思っていないが、ロマンティックなラブへの夢とは決定的にマッチしないケースではあると思う。
僕がそう言うと彼氏はもう一度鼻で笑って、くそくだらねえ、と言った。それから宣言した。じゃあいいよな、弟の予定きいとくから。
じゃあって何だよ、じゃあって、と僕は思い、それから、いいよ、とこたえた。