傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

こんなもの握りつぶしてしまいたい

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。感染状況に波はあれどなるべく出歩かないという方針は常態化し、弊社ではどうしても対面でなければならない業務以外は基本的にオンラインのままである。
 僕は運悪くというかなんというか、管理職になって二年目に疫病の波に見舞われた。まあしかたないんだけど、しかたないっていうかもうどうしようもないんだけど、業務のオンライン化のための僕の仕事量は結構なものだった。そうしてとくに評価されるでもない。上司から「よくやっている」とは言われるのだけれど、会社から出た手当は、何をかくそう最初の月にもらった一万円だけである。残業代だってつかない。
 でもやたらと忙しいことも待遇がついてこないことも実はわりと平気だった。僕はけっこう辛抱強いのだ。地味に地道に徹底的に、というのが平素からの僕の信念である。

 それなのに今回はほとほとまいってしまった。
 週末が来ると僕は完全な無気力に陥った。ほぼベッドから出なかった。

 簡単に言うと、職場でハラスメントが起きたのだ。とはいえ被害に遭ったのは僕ではない。そして被害者は自分が被害に遭ったことを知らない。ことはオンラインの業務コミュニケーションついでの雑談の場においてのみ繰り返され、エスカレートした。
 僕がなぜそれを知ったかといえば、それが起きたチームの構成員がリークしたからである。きっちりとファイル名に日付を入れたスクリーンショットの量が、彼の(リークしたのは男性、被害者は女性である)怒りを物語っていた。
 僕がこれまでに扱ったことのあるハラスメント案件は超露骨なセクハラ一件と関連会社を巻き込んだパワハラ一件、いずれもどこからどう見ても百パーセントひどいので管理側としてはある意味ラクだった。加害者は単体の「ひどいやつ」であって、そういうのは(被害者には申し訳なんだけど)第三者としては割り切って扱えるので、精神的ダメージはさほど大きくない。

 今回はその反対だった。被害者は自分の被害内容を知らず、加害者は単体ではなく、どこから「ひどい」と言えるようになったかの切り分けがわからない。結果はものすごくひどいんだけど、どこが境界線なのかわからない。

 僕はあのスクリーンショットを忘れることができない。
 決定的な文言が出る前のやりとりを読むと、特定のメンバーにイレギュラー業務が集中することについて、他のメンバーは軽い罪悪感を持っているような雰囲気があった。それが発端だったのだろうと思う。
「いや、まああの人がやってくれるっていうから、いいでしょ」
「ああいう人が一人いると組織としては使い勝手良いよね」
 トリガーはこの「使い勝手」という言葉だった。日を重ね、月を重ねるうちに、被害者本人がいないやりとりにおいて「便利ちゃん」という語が出現した。やがてそれは「お便利ちゃん」になった。

 最後のスクリーンショットにはこう書かれていた。「それもお便女ちゃんに処理してもらえばいいじゃん」。

 僕はきっと幼いところがあるのだろうと思う。他人より多くの仕事をしたら感謝されるにちがいないとどこかで思っていた。誰かに何かしてもらったらありがとうと僕は思うから、それが当たり前だとどこかで思っていた。そんな人間ばかりではないと、逆恨みだのヘイトクライムだのもこの世にあふれていると、頭ではわかっていたのに。その仕組みだって理屈では了解しているのに。世界史とかで習った。本だって読んだ。そういうテーマの映画も観たことがある。人間は理不尽に特定の属性の人間を貶め、貶めるための会話を仲間内の娯楽にする。
 そうしたことを、僕はほんとうにはわかっていなかったのだろう。だから送られてきたスクリーンショットを見てこんなにもダメージを受けている。

 僕は被害者にこの話を聞かせたくない。加害者たちには相応の処分が下るだろう。こういうものを野放しにしておく会社ではない。でも被害者はどうなる。組織として詳細をそのまま知らせることはないにせよ、人の口に戸を立てておくことはできない。
 ぜったいにそんなことはしないけれど、僕はこのスクリーンショットを握りつぶしてしまいたいと思う。彼らの会話のどこからがアウトなのかの境界線を引ききれない自分、すなわち彼らと同様の心根を隠し持っているかもしれない自分も一緒に、握りつぶして、なかったことにしてしまいたいと思う。