傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

マリッジブルー、マリッジ抜き

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために色恋の発生も抑制された。色恋の多くが物理的接触を必要とする以上、ワンナイトだろうが婚活だろうが、新規開拓は感染源になりうる。
 もちろん、疫病流行前からアプリで相手を探すしくみは普及していた。感染源になることなど気にせず開催されるパーティだってあるだろう。それにしたって出会いのフィールドに乗り出す母数はものすごく減ったから、相手選びという意味では全員が影響を受けている。
 僕はもともとアグレッシブに彼氏を取り替えるタイプではなかったのと、疫病前につきあいはじめた彼氏がかなりいいやつなので、「まあ今は新しい彼氏とかそういうのはやめておくか」と思っている。そして「もしかして今の彼氏と長いこと一緒にいるかもしれない」とも思っている。
 彼氏も同様の方針である。僕はそのことを、もちろん喜んでいる。自分は別れることを考えていないのに、相手だけ「そろそろ取り替えたいな」と思ってる、なんて悲しいことだ。だからもちろん彼氏が僕を「とくになにもなければずっと一緒にいる相手」として周囲に話しているのは、嬉しいことなのだ。彼氏は僕を自分の家族に紹介し、ゲイでない者も含む大勢の友人に引き合わせた。総じて感じのいい人たちだった。僕もきょうだいと友人に彼氏を紹介した。僕は嬉しかった。

 嬉しかったのは嘘ではない。でも僕は落ち込んだ。気が重い。憂鬱である。ブルーである。
 親しい友人にこっそりそのことを話すと、彼女はあっさりと言った。マリッジブルーじゃん。マリッジ抜きの。

 僕の人生はあらゆる意味で結婚に縁がない。第一に僕は結婚したくない。両親の仲がよくなかったためか、結婚生活というものによいイメージがない。制度としても無理があるんじゃないかと思う。第二に僕はゲイであり、日本で恋人と結婚する選択肢がない。
 そしてなにより、僕は初彼から今彼まですべての恋人に対して「今日好きでも明日嫌いになるかもしれないじゃん」と思っていた(いる)。永遠とか誓う人の気持ちがよくわからない。いや、他人が他人に誓うのはいいんですよ。いいっていうか、他人は僕じゃねえし。
 僕は永遠とか、かんべんしてほしいです。なんかちょっと気持ち悪いって思う。生きてるんだから変化するのは当たり前で、そしたら別れることだってあるじゃん。その可能性をぶん投げることが僕にはできないし、したくもない。

 僕はそのような人間で、「結婚に縁がない大会」があったら日本代表有力候補だと思う。そんな僕がマリッジブルーを味わっているのだと、友人は言うのである。

 つまりさあ、と友人は言う。外側から人間関係を確定されることに対する憂鬱でしょ。もちろんみんな、カップルはいつか別れるかもしれないと思っているし、離婚が珍しくないことだって知ってる。知ってるけどやっぱり「永遠の愛」みたいなドリームも好き。そしてあんたのブルーは、自分が強制的にそのドリームに加盟させられることへの憂鬱なんじゃないの。

 そう言われて気がついた。僕の中の憂鬱スイッチをバチンと押したのは僕の姉だった。姉はこう言ったのだ。生涯の伴侶に性別なんか関係ないわよ。

 もちろんそれは姉の好意である。僕の恋人が男であることが話題の端にでものぼると、そのあと母が熱を出す。だから僕はあまり実家に戻らない。姉はそれを不憫に思って、ことさらに僕を擁護する。だから姉のせりふは百パーセント愛情によるものなのである。
 でもさ、姉ちゃん、おれはさ、生涯とか決めてないの。そういうのはいいの。結果的に「生涯の」相手になったとしても、それは偶然だし、そうなるほうがそうならないより良いとはおれには思えないの。彼氏と一緒にいるための努力はもちろんしてるよ。でもそれは現在の関係にまつわる努力なんだ。永遠とか生涯とかじゃないんだ。
 そう思う。でも言えない。言って理解されるとも思われない。

 そうねえ、と友人が言う。放っておくのがいいんじゃないかしらね。そのほうがトクだよ。ちょっとした「永遠の愛」ドリームを邪魔しなければ、お姉さんもほかの人も、あんたとあんたの彼氏を好きで、助けてくれるんだからさ。人生は長いよ。何があるかわからないよ。だから孤独は損だよ。助け合う相手は多いほうがより安全ですよ。「そんなんじゃないんだ」っていう気持ちは、わたしがいくらでも聞くからさ。