傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

わたしは孤独に死ぬだろう

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのため人の死に目に会えるのは親族のみになった。感染の状況によっては親族さえ会えないこともある。

 わたしはいまだ五十の坂を越えたばかり、昨今の平均寿命から考えると死が近いとはされにくい年齢だが、平均はあくまで平均なのであって、人によっては強く死を意識する。具体的には病気をするとか、そういうことで。
 わたしは病気をした。生きて帰ったが、年に一度検査をして「まだ死なないでしょう」というようなお墨付きをもらっている。もう数年そうしている。そんなだから死について考えることは日常であり、特段の悲劇とも受け取れない。法的に有効な形式の遺言も書いたが、自筆なので、公正証書遺言にして後の憂いを断ったほうがよいのではないかと考えている。
 一方で「もう法定のままでよいのかもしれない」「死んだあとのことなんかどうでもいいのかもしれない」「だって、どうせ思い通りにはならないのだし」とも思う。

 というのも、近ごろわたしより少々年かさの友人が亡くなったのである。わたしは赤の他人だからもちろん終わりのほうには会えなかったのだけれど、連絡はとっていた。彼女はしきりと周囲に感謝しながら最期の時を過ごした。彼女の親族たちーー夫、息子と娘、自分の姉妹、高齢の親までーーは、それぞれの能力や取得可能な余暇に合わせてチーム戦のように彼女を支え、およそ考え得るかぎりの環境を提供して、彼女が治療の苦痛で精神的に荒れたときにも辛抱強く相手になった。
 それは彼女が血縁ある関係の人々に感謝され、恩を返したいと思うような人生を送ってきた、そのことの結果である。もちろん、相手によっては恩も忘れるだろうから、よい人生を送れば弱ったときに恩が返されるというものではないが。

 わたしは彼女とは正反対の人生を送ってきた。当時としても珍しいほど男の子どもばかりを大切にする家で、わたしが皿を洗っているあいだ弟が塾に通っているという、簡単にいえばそういう家だった。家庭内労働や教育や投下される費用の面での差別は、しかし本質ではなく、「蔑まれる係」としての役割を生活の隅々に至って与えられていることのほうが、わたしにはこたえた。だからわたしは十八ですべての血縁を切って捨てた。
 もう一度人生があるのなら、やはりわたしはそうするだろう。しかし切って捨てられた両親は自業自得として(あんなの、いま考えても一切の感情を持つ必要がない)、弟についてはどうか。ただの甘やかされたぼんくらであり、はちゃめちゃに邪悪だったというわけではない。少なくとも父親のしていた日常的な娘への性的な言動をまねることはなかった。そんなのは感謝するようなことではないが、両親と一緒くたに切って捨てて何の感情も抱かなかったことについては、もしかするとやりすぎだったのかもわからない。

 わたしのすでに短くなくなった人生において、わたしを助け、わたしを愛し、わたしを笑顔にしてくれたのは、いつも赤の他人だった。だから自筆で遺言を書いたとき、わたしは「わたしが働いてためた老後のための貯金、早死にしたとしても血縁者になんかびた一文もやるものか」と思って、そのように書いた。
 でも、法的な関係のない人々に、国家が把握し法律が管轄する「親密さ」のない人々にお金を残そうとするのは、それはそれで迷惑なことなのかもしれない。彼ら彼女らは笑っていいよと言ってくれたけれど、いざとなったら揉めるかもしれず、そもそも「ほんとうは自分を指名してお金を残したりしないでいてくれたほうがありがたいけれど、相手の意思を尊重したいから」という姿勢なのかもしれない。会社員ひとりが貯められる額面だからたいしたことはないが、それでもその程度の金額でも人間や人間関係がおかしくなることは珍しくない。
 それならばわたしはおとなしく法定相続人にわたしの遺産をくれてやったほうがいいのかもしれない。

 わたしはきっと孤独に死ぬだろう。わたしの親密な人々は誰もわたしの病室に入れない。法と国家が把握していない関係だから。カテゴリ「知人」にすぎないから。一緒に生活していようが、たがいの危機を何度助け合おうが、「知人」にすぎないのだから。
 正しい「親密さ」を築いてきた人間だけが、死に目を誰かに看取ってもらえる。それが人生の総決算というものだ、とでも言われているようだ。

 それならそれでかまわない。わたしは孤独に死ぬだろう。わたしは幸福なまま、ひとりきりで死ぬだろう。