傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

恋愛なんか好きじゃなかった

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのために停滞したもののひとつが恋愛活動である。僕らの世代では(少なくとも僕の周囲の同世代の友人の間では)「恋愛したいなら『自然な出会いを待ちたい』などというのは寝言であって、自分から動かないやつにはなにも起きない」という認識が一般的である。恋愛したけりゃ恋愛活動をするものなのだ。
 そしてその恋愛活動の多くが停止し、いくらかは強行され、全体に様変わりしたのがこの一年数ヶ月である。

 僕は疫病流行が一度落ち着いたところで今の彼女に出会った。そうして彼女が「つきあおうよ。わたしとつきあうと楽しいよ」と言うので即つきあうことにした。その後ふたたび新しく人と会うのが困難に(あるいはためらわれるように)なったので、いわば出会いの滑り込みである。滑り込めたのは彼女の腕力のおかげだ。デート一回目でつきあおうなんて言えないですよ、少なくともおれは。
 その後は疫病のためにどこかへ出かけることもままならなかった。それで僕は彼女の部屋にせっせと通った。来てくれと言われたのではないけど、「行っていい?」と訊いたらたいてい「いいよ」とこたえてくれたのだ。だからにこにこして通っていた。
 あまりにしょっちゅう行っていたからか、つきあって二ヶ月後には彼女が「二ヶ月後に賃貸の更新があるから一緒に住む? あなたと住むと楽しそう」と言った。それで一緒に住むことにした。疫病対策としてしばしば「同居家族のみ○○してよい」という行動制限が課されたから、同居すると非常に気分がラクになった。
 それも彼女の腕力のおかげである。つきあって二ヶ月で同居の打診はできないよ。少なくともおれは。

 そして僕らはけっこううまくやっている。結婚とかする?と訊いたら「しない」と彼女が言うので結婚はしていない。なんでも「結婚という制度が嫌い」なのだそうである。「あなたが結婚することは止めない。あなたの自由だ。したけりゃよそですればいい」と言う。
 まあ僕としては安心して一緒に居られればそれでいいので、結婚が彼女の安心じゃないなら強行する必要もない。
 それで僕らはたがいの家族や友だちに会って仲良くなるなどして安心して暮らしている。

 そしてつくづく思った。疫病前、僕はしばしば恋愛活動をしていたけれど、だからといって恋愛がしたかったのではなかった。僕は気の合うパートナーと安心して暮らしたかったのだ。その相手を選ぶ手段を恋愛しか知らなくって、だから恋愛活動をがんばってしていたのだ。今はもう、恋愛、ぜんぜんしたくねえ。

 僕がそう言うと彼女は眉を上げ、しっけいな、と言った。わたしを愛していないのですか、あなたは。
 愛していますよと僕は言う。愛してるけど、燃えるような恋はしてない。生まれてこのかた誰にもそういう恋はしたことがない。高校生のころはものすごくドギマギしたけど、あれは単に慣れてなかったせいだと思う。女の子を並べて「この中に好きになれそうな人はいないかな」って探すのが嫌い。とっかひっかえしたいやつの気が知れない。恋愛初期のハラハラする感じも嫌い。女の子に試される感じも嫌い。それでだいたいダメになって別れる。恋愛関係が半年以上もったことがない。あのね、おれ恋愛ぜんぜん好きじゃねえの、最近気づいたんだけど。
 変わってるなあと彼女は言う。わたし恋愛すき。得意だし。
 知ってる、と僕は言う。彼女の恋愛的豪腕のおかげで交際と同居が早期に実現したのである。ちなみに「振られたり断られたりするのが怖いという感覚はないのか」と訊いたときには、彼女はほほえみ、「ふられたらすっごく悲しくて毎日泣いちゃう」と言っていた。そして「まあ今のところ、つきあおうというオファーを出して断られたことはないけどね」と言った。まさに恋愛が得意なのだ。

 変わってるのはきみのほうだと思うよ、と僕は言う。恋愛が好きな人なんて、実はほんの一部なんじゃないかって、最近思うんだよ。男でも女でも、若くても年とってても、きみみたいなタイプはごく一部なんじゃないか。たとえば僕がいなくなったら、すぐによそで恋愛できるでしょう。いやわかってる、悲しんではくれるよね、でもその足で恋愛の戦場に戻る。
 そんな人類は少数派のはずだよ。残りはしょうがなく恋愛活動をしているんだよ。しょうがなくとまで言わなくても、「そういうものだから」って。