傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

顔面偏差値の追放

 またあの子も一緒に三人で食事でもしようよ。私がそのようなメッセージを送ると、友人は半日おいて返信をくれた。マキノと二人ならいい。彼女は、悪い人ではないのだろうけれど、わたしは、しばらく一緒に食事をしたくない。

 友人はそこで通話に切り替える。私は通話に出る。友人は延々と話す。

 彼女は楽しい人だとわたしも思う。ときどきおしゃべりをしたいと思う。でも今はいやだ。なぜかっていうと、あの人、わたしの写真を撮るの。あの人とわたしの写真でもなく、マキノとわたしと三人での写真でもなく、わたしだけ写ってるやつを。気がついてた? 

 わたしは撮影されることをそれほど好まない。誰かと一緒に撮る記念写真のようなものは拒まない。SNSに載せるのは勘弁してほしい。でもそんなに神経質に拒んだりはしない。ふだんはね。でも彼女に撮影されるのはいやだ。だって彼女、どうしてわたしを撮るのかって訊いたら、「偏差値の高い顔面が好きだから」と言ったのよ。

 わたしの顔は人気がある。それはわかってる。とくに女性たちに人気がある。それは知ってる。わたしは、顔を好かれるのも嫌いじゃない。顔はわたしの一部だから、好かれたらそりゃうれしい。褒められるのもうれしい。普通はね。でも「偏差値が高い」は、ない。率直に言って、失礼だと思う。

 株の売買かよって思う。株式なら、人気投票だから、「偏差値が高い」のを買ったらいいんだ。人気が上がりそうなのを買ったらいいんだ。でも友だちづきあいでそれはない。完全にない。「あなた人気がありそうだから好き」って、どういうこと? しかもその人気の対象が顔面。一対一の人間関係で持ち出していい基準じゃないでしょ。少なくとも面と向かって本人に言うことじゃないでしょ。

 そもそも「顔面偏差値」っていう言葉がわたしは嫌い。下品だから。個人の美的感覚を人気投票や権威づけで決めるなんて、感受性と思考の停止でしょ。美をなんだと思っているのか。美に偏差値なんかあってたまるか。まして生きている人間の顔の美に。あのね、マキノ、あんたはちょっと怒りな。マキノとわたしが並んでる図柄で写真撮るとき、彼女、マキノだけフレームアウトさせてるんだから。たぶん、マキノの顔の偏差値が高くないっていう理由で。

 

 彼女はそのように話した。そうして勢いよく鼻から息を吐いた。スマートフォン越しにもわかる派手な鼻息だった。そうさねえ、と私は言った。美人もたいへんだねえと言った。それから説明した。

 私は彼女の面食いを知っていましたよ。面食いの中でも、この系統が好き、みたいなのじゃなくて、誰もが認めそうな造作を好むタイプだよね。要は、容姿に関して権威づけを必要とするんだよ。面と向かって「みんなから高く評価されていそうだから好き」って言われたら、まあ嫌な気持ちするだろうけどさ、彼女がそんなにも人から評価されやすい容姿にこだわる背景についても考えたらいいと、私は思うんだよ。

 私は、人の顔あんまり覚えられないから、容姿にこだわる人のことがよくわからない。たかが容姿で、とか思う。でもそれは私の目が悪くて、画像をろくに覚えられなくて、自分の容姿についても「おお可愛い可愛い」としか思っていないからだよ。他人もだいたい可愛いと思う。つきあってきた男の人の容姿に統一性がないって言われる。アイドルグループのメンバーの見分けがつかない。おおむね同じに見える。人間の容貌に関する認識が全体に雑なんだ。でも、容姿にこだわる何らかの経験があって、容姿に関する他人からの評価にこだわっちゃう人も、この世にはいるわけよ。

 そういうのって構造的に多く女性に課されてきた問題でしょ。やたら容姿をジャッジされて、いいの悪いの言われてさ、牛の品評会みたいに。私はそういうの嫌いだから、「けっ」としか思わなかったけど、親や世間の言うことをよく聞くいい子だったら、その評価基準を敏感に取り入れてしまうはずだよ。そして大人になってから、評価をする側に回りたくなるのだと思うよ。なぜなら評価をする側とされる側なら、する側のほうが権力を持っているように見えるからだよ。

 だから私は、ジャッジしないという選択肢を、ジャッジしたい彼女に示すの。私にとっては、顔面に偏差値をつけられて、横にいる友だちより低いって宣言されても、どうってこと、ないからさあ。偏差値がない世界について、彼女に知ってほしいんだ。だって彼女はとてもいい人だもの。かしこくて楽しい人だもの。