傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

偽物の期限

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。僕が恋人でない女と暮らしはじめたのはそのせいである。

 僕には去年の年末までつきあっていた人がいた。美しい人だった。意思が強く計画的で、人生に求めるものが明確な女性だった。彼女は十代のころから、堅実に働きしっかりとした家庭を持つと決めていた。資格の取れる大学に行き景気に左右されない職に就いて、楽しいだとかおもしろいだとか、そういうことは抜きにして、彼女の思う正しさをそなえた仕事をしはじめた。僕と彼女が出会ったのはそのころのことだ。
 僕もまた堅実な人生を歩んでいた。だから彼女は僕を選んだ。僕も彼女のような人と家庭を持ちたいと思った。でも僕は彼女ほどに意思が強くなく、堅実な路線で生きてきたのはただ単に「そういうものだ」と思っていたからだ。学生時代の終わりからじわじわと「自分はそういうタイプではないのかもしれない」と思っていたけれど、いよいよ安全より刺激が欲しいのだと気づいて、二十代の終わりに転職した。
 彼女はそれを許さなかった。給与が落ち、勤務先が定年まで順調であるかわからず、なにより繁忙期にワークライフバランスを保てない。他人ならいい、と彼女は言った。でも結婚はできない。そして結婚したくない相手とはわたしはつきあわない。
 彼女は意思が強いので、別れ話でも泣かなかった。帰り際に目を赤くして、こういうときに泣くのはいやだったと言った。気丈だけれど、化け物みたいに強いのではなかった。美しい人だった。

 僕はもはやなにが正しいのかわからなかったので、正しくない女とねんごろになった。趣味の写真のワークショップに出かけて、その主催者の写真家といい感じになったのだ。写真家は若くして小規模なブレイクを経験してそれなりに実入りがあるけれど、先のことはぜんぜんわからないのだそうだ。写真家は将来についてまったく気にしておらず、死ななきゃいいのよと言ってへらへら笑っていた。楽しいことして、そうして死ななきゃいいのよ。え? 結婚? そういうの向いてないんだよねえ。
 写真家の部屋は広くて居心地がよかった。僕はそこに入り浸り、やがて間借りを申し出た。簡素で洗練された趣味の、ものの少ない部屋で、そこにいると僕はひどく心が安らぐのだった。写真家はものごとに執着がなく、使わなくなったものはなんでも捨ててしまう。だから部屋がきれいなのだが、過去の作品のデータの入ったHDDなんかも無造作に捨てるので、僕はそれを拾ってとっておいた。
 ふたりとも食い道楽で料理ができるので、食生活が充実するのもよかった。僕の別れた恋人が眉をひそめるような贅沢なレストラン、野放図な食材の買い出し、笑っちゃうほど切れる高価な包丁。

 疫病が流行して写真家の仕事はほとんどなくなった。写真家は泰然として毎日決まった場所で売れもしない写真を撮影していた。なぜと聞くとそういう映画があるんだと、突拍子もない理由を述べるのだった。こういうとき、画家はスケッチをして、小説家は短編を書いて、そして写真家は決まった場所で撮影をするの。そういうものなの。当座の生活費は頼まれ仕事で稼いでるからその点は心配いらない。自分ひとりが今日食えりゃいいのよ、わたしは。

 写真家が出かけて僕はぼんやりと部屋を見渡す。二人前にはやや狭く一人前には広い間取り。写真家の自我が欲したのであろう余白。その余白に間借りして間借り賃と自分の分の生活費を払っている僕。
 写真家とは疫病の流行以来一緒に暮らしているけれど、恋人ではない。そういう話をしたことはない。僕の恋人はあの正しく美しい人だけだった。そう思う。写真家の顔は整っているが、美しいと思ったことは一度もなかった。僕は写真家その人より、その住まいのほうを好きだったのかもしれなかった。一緒に料理をして、掃除を分担して、まるで家庭のようだけれど、ここは家庭ではない。僕が欲しかった家庭ではない。疫病の流行以来、誰かと暮らしたくなった人が多いと聞く。僕もそうだった。僕は寂しかった。恋人にふられて寂しかった。だからこの家に来たのだ。

 疫病の流行が終わったら僕はここを出て行くのだろうと思う。仮住まいの期限がやってくるのだろうと思う。そうなっても写真家はひとつも泣きやしないだろうと思う。目のひとつも赤くなんかしないだろうと思う。本物の家庭が欲しいのだと僕が告げれば、そうかそうかと言って、楽しかったよと手を振るのだろうと思う。絶対に僕の妻にならない、正しくない女。僕の恋人ではない女。