傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

都心のスケッチ

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。わたしの自宅である麻布十番近辺の人通りはおそろしく減った。それから少し戻り、また落ち着いた。ここは繁華街とも住宅街とも言い切れず、古くからある町工場も残っていて、どうにも「こういうエリアです」と言い切れない。都心ではあり、しかし交通の便がよいとはいえない。そうして典型的な夜の街である六本木から徒歩圏内である。六本木にたむろする連中は徒歩でなんか来やしないが。

 わたしの自宅は施設に引っこんだ祖母から借りているもので、古いが手入れは行き届いている。というかわたしが維持のための手入れや事務作業をしている。家賃は身内価格で十万円、管理費として二万円が割引かれ、わたしの支払いは月八万円である。
 わたしが子どもの時分、十番は陸の孤島で、母に連れられて祖母の家に遊びに行くときには都バスを使っていた。移動距離は一桁キロなのに、「おばあちゃんちはちょっと遠い」と思っていた。
 祖母の私室には書棚と文机があるきりで、押入れの中が完璧にオーガナイズされていた。ものが置かれていない畳はいつもかたく絞った雑巾をかけられていて裸足に心地よかった。畳のお部屋はそういうふうにしつらえておくものなの、と祖母は言っていた。わたしはもう腰がきついからワイパー使ってるけどね。いいわよあれは。あれに薄い雑巾をつけたら、そりゃあ具合がいいものよ。
 祖父母宅はわたしが生まれる前に全面改築してバスルームも整備されていたのに、祖母は施設に入る直前まで区の小さいバスに乗って銭湯に通っていた。近ごろは浜松町まで行かないとちゃんとした銭湯がないのよ、と祖母はぼやいた。困ったものだわね。お風呂がせせこましいなんて嫌だわ、わたし。

 そんなわけでわたしは現在ひとり住まいである。勤務先は頑張れば徒歩圏内、疫病以降は出社と在宅が半々で、だから運動不足だ。在宅勤務は個人的に嫌いではないが、歩く距離が減る。
 それで近所を走る。マスクをつけても窒息しない程度の速度でぽくぽくと走る。暑くなってからは夜が多い。かつては人通りが多くて場所を選ばないと快適なジョギングはできなかった。今は表通りをすいすいと走ることができる。

 近所を走る。往時に比べてたいそう少ない酔っぱらいたちとすれちがう。自分だけは疫病にかからないと思いこんでいるのか、ひとにうつしても構わないと決めこんでいるのか、「感染症対策として怪しい薄手の布マスクをつけるより、つけない方を選ぶ」というポリシーを持っているのか(今やサージカルマスクも手に入りはするのだが)、あるいはなにも考えていないのか、感染症対策として適切な距離を保てない場所でもマスクなしの人が散見される。
 馴染みのレストランをはじめとする近所の飲食店は意外と潰れていない。飲食店が来客を入れることができなかった期間にテイクアウトなどでささやかに応援していた身としては嬉しい。今は規制が緩んでいる時期だが、それでも営業は二十二時まで、店によっては二十時で閉める。週末にコースを予約して行って二十時で帰るなんてギャグみたいだと思う。
 馴染みのレストランの、「ここはフォーマルでない店だから」という矜恃でもって美しいカジュアルを崩さないソムリエールが「じつに無粋ですが」と言いながらグラスをふたつ並べ、「終わりまでのお料理に合わせて選んだものです」とうつむいて微笑んだ、その眼窩と鼻筋のかげりを思い出す。

 帰宅してシャワーを浴びる。金曜日だから少し夜更かしをしたいように思う。六本木方面に少し歩いて、「闇営業」をしているバーへ行く。法的に規制されているのではないから二十二時以降にやっていたって「闇」ではないのだが、従業員が看板を下ろして顔見知りだけ入れているのだから闇っぽさが高い。
 近ごろは良いウイスキーがやたらと安い。カウンターの向こうを睨めつけて一杯頼む。隣にいるのはいかにもこの土地に来そうな、札束で磨かれたごとき男女である。家賃二十万くらいに下げたいな、と隣席の女が言う。そうそう、とわたしは思う。こういう、出どころのわからないカネを持ってそれをばんばん落としてくれる人々のおかげでこの(旧)陸の孤島は潤ってきたのである。家賃八万円のせせこましい勤め人だけでは、行きつけのレストランだって値段を上げなければ経営が成り立たないだろうし、そうしたらわたしは行けないだろう。

 自宅に戻る。静かである。この静けさはいかにも住宅街である。近所の豪邸の庭で虫が鳴く。虫たちが秋を呼んだところで、世界は元に戻らない。