傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

人格の責任

 名家というのが今どきあるかは知らないけれども、歴史と伝統と家業と土地と財産のある家なら知っている。知っているというか、わたしのクライアントに複数そういう家がある。わたしは出入りの業者のようなもので、ただしその出入りは不定期だ。
 本家だの分家だのというのはもちろん呼び名にすぎないが、本家はとにかく威張っている。威張り方が小物のそれではない。威張り慣れている。わたしは威張っている人間はだいたい嫌いだが、いま仕事をしている本家の長男はとくに嫌いだ。その道では有名な人物で、仕事はできる。しかし、どんな相手だろうが、そこいらの虫みたいに扱われてうれしい者はいない。いや、指示(であるべきなのだが、彼の場合は命令、なんならご下命)はするので、虫というより道具だろう。わたしの家のルンバのほうがまだ身分が高い。
 うちのルンバは型落ちで投げ売りされていた安物で、価格のためかそれとも長く店頭にあって古いからか、かしこくない。わたしの家族は「うちのばかなロボット」と呼んでいる。ここから先は掃除に行ってはいけませんよという指示を出すことができるのだけれども、うちのばかなロボットは平気でそれを踏み越える。そうしてその先の段差に落ちてなさけないエラー音を出す。帰宅するとときどき玄関に落ちていて、そのさまはあわれをさそう。可愛い。
 わたしはそのクライアントにとって、ルンバのようなものでさえなく、棍棒とかに近いと思う。いくらでも代わりのきくもの。もちろん職というのは取り替えの利くものでなければならないのだけれども、そのクライアントはおそらく、自分はこの世に唯一無二だと思っている。そうして世の中の大部分の人間はそうではないと。そこには厳然とした階級があり、階級は細かくわけられ、「下々の者」はだいたいひとまとまりになっている、それくらい自分は雲の上の存在であるのだと。
 それは腹がたつねえ、と友人が言う。りくつで考えれば人間のあいだに階級があるわけないじゃん。まして現代日本だよ。そいつはなんなの、思考する能力が足りないの。能力は足りている、とわたしはこたえる。なにしろ次期当主さまだから、連綿と受け継がれた伝統的な仕事をする能力がなければあの家でも引きずり下ろされている。
 でもねえ、とわたしは言う。次男以下と女はいろいろなの。いやなやつもいるし、いい人もいる。長男だけがおなじ。先代もそうだったし、別の家の当主もおんなじような性格。長男だけがこんなにも同じ性格になるのは、それなりの理由があるとわたしは思う。
 人格における先天性の要因と環境要因の割合は永遠の議論の的で、わたしたちが生きているうちに結論が出ることはないんだけど、わたしは、環境、でかいなって思う。とくに極端な環境。わたしが見てるのは、当主は絶対、長男は次の当主、次男以下の男はスペア、女は嫁にやるもの、家業は尊いもの、お金と権力ととりまきが大量に存在するっていう特殊な家庭環境なんだけど、そうしたら、長男が同じ人格になるんだよねえ。
 そういうの見てると、この人がこんなに傲岸な差別者になったのはこの人だけのせいかなあって、思う。わたしが男で、名家とやらの生まれで、家業を継ぐプレッシャとそれ以外の面での甘やかしを空気みたいに吸って育ったら、こうなっていたのじゃないかって。犯罪者の責任を考えることに似ているなあ、と友人はつぶやき、わたしはその飛躍に少しおどろく。
 自宅に帰ると小学生の息子が珍しくまだ起きていて、言う。ママ、今日ルンバが自分で電気のところに行ったんだよ。はじめてじゃない?はじめてだと思う、とわたしはこたえる。すごいね、うちのロボット成長したね。息子は大人ぶって腕を組み、それからもっと大人みたいな顔になって、わたしに告げ口をする。だからパパがルンバをうんと褒めてきれいにしてたよ、ベランダで。
 そうか、とわたしは思う。わたしの花粉症がひどいから夫は部屋の中では分解をしなかった。それに夫もわたしたちのばかなロボットを可愛がっている。
 わたしの夫は、苦労をしなかったのではない。しなくてもいい苦労をやけにたくさん経験した。夫が子どもの前で愚かなロボットが正常に動作したことを褒めそやし、花粉症がひどい家族のために掃除機のメンテナンスもベランダでしてくれるのは、夫がやさしいからだ。それは誰のおかげだろう。夫が若いころに夫をひどい目に遭わせた人のおかげだろうか。きっと、そうなのだ、とわたしは思う。きっと、そうでもあって、そして、でもわたしたちは、愛する人を虐げた連中をいくらでも憎んでかまわないのだ、と思う。

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