傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

ぐれてやる、息子とふたりで

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。子どもの小学校も休校になった。学校は不要で不急だったらしい。ふーん。知らなかった。そんなわけで親業の内容はふくれあがった。授業なし、給食なし、子ども同士の遊びなし。親御さんがどうにかしてあげてくださいね。

 わたしはもとより「母親らしさ」みたいなものに興味がない。夫の親戚の集まりで「やっぱり母性本能がある」などと言われて鼻で笑い、帰宅後に夫から真顔で「あんなところに呼んでごめんね」と言われた女である。手料理なんかもともとたいして好きではない。だから徹底的に手間を省くことにした。

 家の大人二名は仕事をしている。半ば在宅になったとはいえ、業務量は変わっていない。だったらこの上昼食の支度なんかしてたまるかと思った。業務用冷凍食品を多用し、息子には「昼食は自分でやっていいよ。納豆ごはんとか。納豆のタレ以外もいろいろ試して感想聞かせてほしいな、そういうの研究っていうんだよ、結果が楽しみだなあ」と指示した。夫には、しばらく貯金なんかできなくてもいいし部屋が多少きたなくてもいいから楽をしようと提案した。母性本能? けっ。なんという非科学的な信仰。

 わたしに「母性」なんてものはない。あるのは「同じ家に住んでいる子ども(息子)の健康状態をそこそこ良好に保てる環境を用意し、同じ家に住んでいる大人(夫)と助け合って暮らしたいという気持ちだけだ。そのためには第一にわたしが過労に陥らず、機嫌よく暮らし、家計の半分をになう稼ぎを維持できなければならない。この家の残りのメンバー二名はわたしのことが好きなので、わたしが病気にでもなったらとても悲しむだろう。そんなのはかわいそうである。だからわたしはわたしに楽をさせなければならない。マンションのローンは割り勘だけど名義人はわたしなのだし。

 だからわたしは冷凍餃子を焼く。だからわたしは夫の料理をおいしく食べる(夫の料理は野菜をたくさん使っているし丁寧だから好きだ)。だからわたしは生協の宅配を使う。だからわたしは乾いた洗濯物をたたまずにソファの隅に山にしておいてそこから取って使う。洗濯物は干さない。ふだんは晴れたら外に干していたが、子どもが家にいるようになってからは電気代など気にせず乾燥機を使いまくっている。節約? 知るか。そんなものよりわたしの機嫌と夫の睡眠時間のほうがよほど大切である(わたしの睡眠時間はもともと短めである)。掃除もめんどくさいからロボット型掃除機を買った。今は二万とかで買えるのだ。ルンバもどきである。そいつのボタンを足で押す。掃除、以上。拭き掃除? ああ、世の中にはそんなものもあったな。

 自分の体形とかもこのさいわりとどうでもいいので、腹が立ったら夜中にポテトチップスを一気食いしている。そのときは息子も夜中にお菓子を食べていいことにしている。だから息子はわたしの職場のトラブルをちょっと楽しみにしている。仕事でいやなことがあると、ぐれてやる、とわたしは言う。そして息子とコンビニに行く。夫はそれを「不良たちの夜」と呼んでいる。

 友人にそのような話をすると、友人は画面の向こうで笑い、それから眉をくもらせ、でも、と言う。でもルンバとか買うのは罪悪感があって。料理もやっぱりしてあげないとって。

 罪悪感、とわたしは言う。罪悪ということは断罪する人がいるんだよね。誰それ。あるいは断罪する基準があるんだよね。法律みたいな。あるいは宗教みたいな。ルンバかっちゃいけない法とか手料理しなきゃいけない法典とかあるの?

 わたしが夜中にポテトチップスを食べることを「ぐれる」と呼ぶのは「健康と見た目によくない」と思っているからだ。健康とか見た目とかを一時的にぶん投げるのは楽しい。わたしはそれを「ぐれる」と呼ぶ。あなたもぐれたらいいのにと、わたしは友人に言う。わたしはルンバ的な掃除機を使うことにも冷凍食品を多用することにも罪悪感なんかないけど、あるなら捨てたら? つまり、ぐれたら? 非常事態なんだから。

 友人は笑う。そして言う。そんなことできるはずがないでしょう。夜中のポテトチップスとはわけがちがうのよ。いいえ、夜中のポテトチップスを「母親が手料理を作らない」くらい悪いと思っている人もいるかもしれないけど、まあとにかく、わたしにはできないの。

 そう、とわたしは言う。じゃあ夜中のポテトチップスだけでもやってみたらどうかな。楽しいよ。それか納豆ごはんにいろんなものをかけてみるとか。息子は最近マヨネーズをかけているよ。