傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

ごはん作って待ってるからね

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。わたしの勤務先はいかにも日本的な大企業であり、歓送迎会や忘年会は疫病以降やめている。少人数での会食は暗黙の了解で会社から少し離れた場所でひっそりとする。

 そんな中で年に二度も会食すれば相当な仲良しである。きみとそんなに仲良くなった覚えはない、とわたしが言うと、なんてこと言うんすか僕ら仲良しっすよ話聞いてくださいよと矢島は言うのだった。
 おおかた妊娠中の妻をいたわる方法でも知りたいのだろう。早く帰ったほうがよほど彼の妻のためではないかと思ったが、矢島は「いやそれが英里子さんの命令なんです」と言う。月に一度は外出して自分以外の人間と楽しい時間を過ごすようにと、彼の妻はそう言ったのだそうだ。

 わたしは矢島の元上司である。矢島はわたしを「かちょー」と呼ぶ。わたしはすでに彼の部署を離れているし、課長ではない。矢島は「『ぶちょーほさ』はないでしょ、あだ名として。響きがばかみたい」と言う。職位をあだ名にするのはこの若者くらいのものだ。あと、ばかみたいなのは矢島の言語感覚である。
 英里子さん忙しいんですと矢島は言う。まだ産休入れなくてつわり抱えて引き継ぎしてるんです、かわいそうでしょ、なのに英里子さんたまには出かけろってうるさくて。
 わたしは矢島のジョッキをながめる。以前よりあきらかに酒量が少ない。飲まなくなると弱くなるじゃないですか、と矢島は言う。そうなのだろうか。わたしは出産三ヶ月後に飲んだときにもそれほど弱くなっていなかったが。
 それはかちょーが体力オバケだからです、と矢島は言う。今の上司から「あの人は産後、異常な速度で復帰した」「そして復帰当日から完全に稼働していた」って聞きましたよ、何者ですか。

 何者でもない。産後は早々に完全復帰しなければ「ママ用ポスト」とあだ名されている席に回されることを重々認識している、ただの会社員である。
 夫は善良な人間で、「共働きなんだから家事育児を半分やる」と宣言してがんばっていたが、半分にはとうてい及ばなかった。育児に関してはともかく、家事に関する理由は簡単である。気づかないのだ。日用品のストックはそのうちなくなるし、詰め替え製品は詰め替えなければ中身が満ちないのだし、すべての段差にはいつか埃がたまる。
 わたしは新しい家電と使い捨て製品と防汚グッズを多用して家事の総量を減らし、残った家事を明文化して夫にプレゼンし、「少しくらい家が散らかっていてもかまわないのではないか」と提案した。
 働いている友人達はみんな「自分がやったほうが早い」「愛してるからそれくらいは」と言っていた。でもわたしは自分が結婚して損をしたと思いたくなかった。共働きでも黙って家事をしてあげるのが妻の愛情なら、夫の愛情はなんだというのか。

 だから俺いま定時ダッシュしてごはん作って待ってるんです。矢島はそう言う。でも英里子さん食欲ないんですよね。さっぱりしてれば食えるってもんでもないみたいで。ネット見ても個人差がでかすぎて参考にならないし。もうこれはね、子ども産んだ人に聞いてもらうしかないということで、かちょーにお願いしたわけです。いや特になにか役に立つ情報を持っているとは思わないですけど。なぜならつわりは個人差がでかいから。
 そうだねとわたしは言う。でもそうやってパートナーがあれこれ考えてくれるだけで嬉しいものだと思うよ。わたしの夫も考えてはくれたけど、毎日定時退勤はできなかったし、料理もあの頃は下手でねえ。

 あの頃はということは、今はうまいんすね。矢島が言う。愛すね。料理は愛情なんて愚かな考えは今すぐ燃やしなさいとわたしは言う。ぜんぶ外注だってかまいやしないの。わたしたちはけちだから自炊してるだけです。
 そんなこと言ってかちょー、料理以外にちゃんと愛情表現してるタイプでしょ。矢島はにやにや笑って言う。わたしがむっとすると「照れた」と指さして笑う。人に指をさすんじゃないとわたしは言う。

 わたしは矢島をうらやましかった。わたしは水曜日と金曜日と土曜日、家族三人分の食事を作る。でもわたしは「ごはん作って待ってるからね」と言ったことはなかった。そんなことはぜったいに言いたくなかった。でも矢島は衒いなく言えるのだ。わたしだってほんとうはそっちがよかった。「女だから」「子どもがいるから」と次々に襲う理不尽と切った張ったせず、家の中で家事をめぐる交渉をせず、後ろになにもついていないただの予告として「ごはん作って待ってるからね」と家族に言ってみたかった。