傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

世が世ならスターだったような人

 直属の上司に関して、人事からの聞き取り調査が入った。要は「あなたの上司、パワハラやってませんか」という話である。
 この部署では、二年前にメンバーがひとり、次の転職先なしに辞めている。それから一人が見るからにまいってしまって休職した。その後ついに「転職先が決まったから、全部報告してから辞める」というメンバーが出たのである。
 全部報告してから辞めるという同僚はなかなか用意周到で、時間をかけてじゅうぶんな証拠を収集し、満を持して告発をおこなったのだという。そうしてわたしたちにも「調査入るだろうからよろしく!」と根回ししてきたのだった。なんだかハイになっていた。
 助かるなあ、と思う。あの上司、できればいなくなってほしいもの。
 とはいえ、実のところわたしは、やんわりとした被害しか受けていない。上司は男性で、彼からきついせりふを投げられ、長時間拘束されるのは、必ず男の部下なのである。

 上司は羽振りのいい、見栄えのする男性である。部下を連れて行く飲み会は彼の奢りだ。上司はわたしたちの会社が大きくなる前からの社歴があり、トップの覚えもめでたく、ヒラの若手社員の感覚では信じられないくらい給与も高いようだった。
 上司の飲み会の一次会はあっさりと終わる。上司はよく飲み声が大きくなるが、それだけである。そしてわたしのような女性社員はその場で帰される。
 そのあとは男性だけで二軒目、三軒目に流れるのだと聞く。
 二軒目以降はほとんど必ずキャバクラに行くのだそうだ。それもまた奢りで、終電がなくなるとタクシー代までくれる。それでも今どき明け方まで上司と一緒にいたい若手社員などいない。最後は押しつけあいのようになるのだと、誰かが言っていた。
 上司はあきらかに女性社員を敬遠している。物腰柔らかに、ていねいに接し、そして一定以上のハードな、すなわち重要な仕事は与えない。「セクハラにならないように」という姿勢であるらしい。そして、重用するのは必ず男性の部下である。
 よくわからないけど、業務に関する事実上の意思決定の場が私的な飲み会に設定されていて、そこに「女の子」の部下は呼ばれないのだとしたら、その排除だって結構なセクハラじゃないだろうか。

 上司は仕事ができる人間だったそうである。長時間労働を平気でこなし、社内や取引先の年長者に好かれ、同世代のあいだでもノリがよく、女性社員の評判も良かったのだそうだ。
 世が世ならスターだね、とわたしは思う。花形の社員。
 わたしは上司を好きではなかったが、それでも最初は「仕事はできるから」と思って認めていた。実際彼の根回しは的確で、だから自分の意思決定を上まで通すことができて、それで数字も出すのだ。
 でもよく見ていると、その成果の多くは、どこかに圧力をかけた結果なのではないかと思われるものだった。彼はどこにどのような圧力をかければ自分の仕事にプラスになるか、もっと言ってしまえば自分の仕事の成果が上がっているように見えるかを、よくわかっているようだった。
 わたしはだから、上司への評価を少し修正した。「本質的に仕事ができるわけではないけれど、社内政治に長けていて成果を出す」というふうに。
 でもその「政治」は誰かの犠牲なしに成り立たないものだった。そしてその誰かは、社内であれ取引先であれ、彼より弱い立場の人間だった。わたしがやんわりと排除された上司と男の子たちのサークル(ほんとうにそんな雰囲気だった。大学のサークルみたいな)からは、わたしにまでぽつりぽつりと不満のことばが届いた。その内容は「わたしはあの上司によって重要な仕事をさせてもらえない状態だが、それでも男性社員じゃなくてよかった」と思うようなものだった。
 そして退職者と休職者が出た。わたしは上司への評価を大きく修正した。あの人は仕事ができるのではない。他人を利用するのが上手なのだ。
 今の男の子たちはそんな人間にいつまでもつき従ったりしない。

 わたしは思う。今でも、あの上司のことをかっこいいと思う人はいるはずだ。なにしろ二年周期で不倫相手を取り替えているそうだから。相手はもちろん社内の「女の子」である。もてそうだもんな、とわたしは思う。わたしには理解しがたいことだが、一部の人は、整った顔だちと羽振りのよい身なりとコミュニティ内での強者ポジションがあれば、それだけで相手を好きになる。
 わたしはLINEをさかのぼる。スクリーンショットを取る。無責任なうわさにすぎないんですけど、と注釈を入れて、人事にそれを見せる。
 こういう追撃があちこちでおこなわれているんだろうな、と思う。