傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

父の揚羽蝶

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのためにわたしの帰省は二年ストップした。わたしの出身地は大きな地方都市だが、それでもやっぱり「東京から娘が帰ってくるとなると人目が気になる」と母が言ったものだから。
 だから今年は年始のほか連休にも帰省した。いつもは盆正月だけだから、久しぶりに五月の故郷を訪れたことになる。
 そのためにわたしは久しぶりに蝶々の羽化を見た。わたしの父は毎年春にアゲハチョウの卵を採取して育てる習慣を持っているのである。

 父は昭和然とした猛烈サラリーマンをやっていたが、現在は定年退職し、嘱託勤務をしながら、母とふたりで老後を過ごしている。そこいらによくいる普通のおじさんというか、初期おじいさんである。
 彼は昭和的サラリーマンにはあるまじき振る舞いをすることがあり、それは主にわたしのためだった。わたしが病気をしたといっては会社を休み、わたしの参観日だといっては会社を休んだ。参観日に毎回来る会社員の男親はおよそわたしの父だけだった。そういう男性は当時、子煩悩、という言葉で形容された。わたしの田舎だけかもしれないが、その言葉にはどこかからかうような、笑いものにするニュアンスが漂っていた。
 義務感もなくはなかったのだろうけれど、幼いわたしの面倒を見るのは父にとって楽しいことだったのだと思う。娘を愛しているというのも、まあそうなんでしょうが(当事者が言うと気恥ずかしいですね)、そもそも父は生き物を世話するのがたいそう好きなのである。
 わたしが小さかったころ、春になると父は、その太短い指で蝶の卵が乗った葉をそっと取り、大きな虫かごでだいじに育てた。十歳くらいになるとパパと公園ということもなくなるのだけれど、父は変わらず公園に行って蝶の卵を取っていた。そのためだけではないのだろうが、家には小さい柑橘の木もあった。父は植木も好きなのである。

 事件が起きたのはわたしが小学三年生のときだった。父は子どものころ近所の柴犬に噛まれて犬嫌いになったのだが(昭和っぽいですね)、母が近所の人から子犬を、それも柴犬っぽい子犬をもらってきてしまったのだ。近所の人が出先で拾った(今ふうに言えば保護した)のだが、その人も飼えはしないので、近所の顔見知りを呼んでは「かわいそうだけど、うちでは飼えないから、飼える人が見つからなかったら保健所に連れていかないと……」とため息をついてみせたらしい。そして母はまんまとそれに引っかかった。
 このあたりはほんとうに昭和的夫婦のダメなところが煮詰まっているなと思うのだけれど、母は父に何の相談もしないで子犬を連れて帰った。そして父は頭ごなしに「返してきなさい」とだけ言い、居間から退場した。話し合いというものができないのだろうかと、現代のわたしは思う。
 母は子犬を返した。そして「明日には保健所に連れていかないと……」とため息をつかれ、また連れて帰ってきた。もちろん無言でやった。このたびは犬グッズまで買い込んでいた。父も再び頭ごなしに拒絶した。しかし子犬はかしこかった。父の膝に乗ってこてんと寝たのである。
 父はその犬を飼い、毎朝たっぷり散歩させてから出勤するようになった。前日に深夜まで残業していようが、つきあいの飲み会があろうが、必ず散歩に出かけた。この犬は十七年生きた。この犬の晩年には、父がおむつをかえ、十五キロあるからだを毎晩抱えて寝室に連れて行った。もちろんそのころには新しい犬も家にいた。父も母もすでに他の哺乳類のいない生活に耐えられない人間に仕上がっていたので、最初の犬が高齢になるあたりで二頭目を迎えたのだ。
 そんなわけでわたしの実家にはずっと犬がいる。わたしの帰省の動機は半分以上犬である。わたしは現在の犬を撫でる。この子も長生きするといいなと思う。

 父はそのような人間であり、現在は犬おじさんとして散歩で出会う近所の犬たちにおやつをあげまくり撫でさすっているのだが、蝶もまだ毎年羽化させている。なんでと訊くと、かわいいじゃないか、と言う。芋虫はかわいいし、羽化は不思議だし、蝶々はきれいだと、そう言うのである。
 こういう人が昭和風のサラリーマンをやるのは大変だったのかもしれないなと、ぼんやり思った。

 わたしの帰省中に蝶が羽化しそうになったので、父は「羽化したらすぐに公園のミカンの木の近くで放してやるように」「しかしできれば次の休みまで待ってほしい」と言い置いて嘱託勤務に出た。もちろん蝶が父を待つはずもなかった。わたしはそれを撮影し、公園に連れていって放した。