傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

僕の叔父さん

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。それで二年ばかり叔父に会わずにいたんだけれど、今年はさすがに顔を出そうと思っている。同じ都内に住んでいるのだし。
 そう思って、それからため息をつく。僕は叔父がわりと好きなのだけれど、両親は叔父が嫌いなのである。だから僕だけで会いに行くのだが、両親に黙って行くのもなんだか気が引ける。元旦に実家に行ったらタイミングをみはからって言わなければ。
 疫病で人づきあいが制限されていたから、この恒例の煩わしさも、僕は忘れていた。年末年始は華やかな休暇であると同時に、もったりとまとわりつくしがらみの季節でもあるのだった。

 叔父は僕の父の弟である。
 父と叔父はふたりきりのきょうだいで、叔父は独身をとおし、子を持たなかった。だから僕には父方のいとこがいない。祖父母が生きていたころは父も正月の集まりに顔を出していて、そのときは叔父が僕の相手をしてくれた。
 叔父は大学を中退し、バックパッカーをやり、それから大きな失恋をしたのだそうだ。幼かった僕が「おじさんはけっこんしないの?」と訊いたとき、叔父はこうこたえた。うん、なぜかというとね、とても好きだった女の人と一緒になれなかったんだ。あの一度だけが僕にとって恋愛で、ほかの誰かと暮らすなんて考えられないんだ。恋というのはそういうものなんだ。
 叔父はロマンティストであり、理想主義者であり、そのわりに自分には甘く、基本的に怠惰で、役に立たない本ばかり読むタイプの読書家だった。叔父はのらりくらりとアルバイトしながら祖父の持ち物であるマンション経営の手伝いをし、祖父が亡くなったときにそのマンションをもらって、そのまま一般的な定年の年齢に近づいている。

 僕の父は叔父に似ていない。父はごく自然に「人間は努力して向上すべきだ」と考えている。母はそのような父といかにも似合いの配偶者で、自立して余所様に迷惑をかけないことを何より大切にしている。
 両親のこの姿勢は徹底しており、たとえば僕は小学一年生のときに空手道場の合宿に参加したのだけれど、自分のことを全部自分でできないうちは行ってはいけないと、道着のたたみ方から夜ひとりでトイレに行くことまでびっちり練習させられた。合宿そのものより両親の訓練のほうがはるかに厳しかった(道場ではいちばんのチビとして上級生からあれこれ世話を焼かれていたのだ)。
 子どもを訓練するより親がやってあげるほうがラクだし、子ども自身に判断させるより親が決めてしまうほうがラクだ。でも彼らはそれをしなかった。わが親ながら立派な人たちである。そして立派な人たちは叔父のような人間を軽蔑するのだ。延々と親のすねをかじり、役に立たない趣味で一日を過ごし、定職に就かず、口をひらけば夢みたいなせりふを吐いて、社会的にはゼロの男。
 祖父が亡くなったとき、「親父のマンションなんかくれてやる」と父は言った。おれは親の遺産をあてにして生活するような人間じゃない。だからくれてやる。その代わり今後おれにかかわるな。

 でもですね、と僕は思った。叔父さんには子どもがいないから、年とって何かあったら結局僕がなんとかしてあげなきゃいけないわけですよ。いけないってことはないか。えっと、僕は、叔父さんのことがわりと好きだから、見守ったり手を貸したりしたい気持ちがある。マンションがめあてかと言われると、まあ欲しくないわけじゃないけど、叔父さんの資産は叔父さんの好きに使えばいいと思っている。
 僕のそのような気持ちを、両親はおそらく不快に思っている。でも彼らはこう言う。「とうに成人した息子が誰とどう交際しようが、親が口を出すことではない」。
 彼らは立派なので、目的のない旅行をしたことがない。彼らは立派なので、余暇には役に立ちそうな本を読んで運動をする。彼らは恋愛して結婚したけれど、それは叔父がむかし話してくれたような陶酔に満ちた恋愛ではきっとなかった。彼らは現実の生活が好きなのだろうと僕は思う。彼らの言う「夢」はあくまで遠大な目標を指すのであり、自分自身を置き去りにするような美しいものへの欲望ではない。

 僕は定職にこそ就いているが、精神はどちらかといえば叔父に近い。隙あらば怠けてやくたいもない小説を読みたい。疫病がおさまったらまた東南アジアとかをふらふらしたい。叔父さんのところに行って、そういう話をしようと思う。わかるよと叔父さんは言うだろう。そして読み終えた本をいくつか見繕って僕にくれるだろう。