傘をひらいて、空を

伝聞と嘘とほんとうの話。

敏感な世界に生きる鈍感なわたし

 疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。弊社ではリモートワークが定着し、勤務先の人々の顔を見る機会が減った。社内に物理的に存在する人間が少ないために、数少ない対面が密室化しやすくなった。そうして、その中で重大なハラスメントが発生したために、上司と部下等の個別面談に関するガイドラインを作成するはめになったりした(わたしが)。
 わたしはハラスメントや労働問題の専門家ではない。まったくないのだが、「あの人にやってもらおうよ、人権とかめちゃくちゃうるさそう、もとい、詳しそうだから」という偉い人の一声で担当するはめになった。それ全部言うの、正直すぎやしませんか。最後のだけでいいでしょうよ。
 わたしがそう言うと、偉い人は「僕だって心の声を全部出したりしないもーん」と言った。
 本音を言うと、小うるさいガイドラインを作って誰かに嫌みを言われたりしても、あなた、ぜんぜん気にしなさそうだからだよ。若い女性部下と二人きりになりたがるおじさんたちに憎まれても、どうってことないでしょう。なんかひどいこと言われたら録音して僕のところに来るでしょう。

 そのとおりである。わたしは自分が若いころ、当時の上司に面談と称して長時間密室で社外での「つきあい」を強制されたとき、「録音します」と言い、そのあと別部署に飛ばされた履歴を持つ。そこでわたしを拾ったのが、このたびわたしにガイドライン作成というイレギュラー業務をぶん投げた偉い人である。
 わたしには社会性がまるきりないのではない。少なくとも自分ではそう思っている。ハラスメントを容認する・しない、どちらが自分にとって不利益が少ないかを天秤にかけ、より少ないほうを取っているだけである。別部署に飛ばされるより、何なら辞めさせられるより、容認するほうが心理的に負担で、自分にとってより損だった。それだけである。その後もずっとその方針でやってきた。
 わたしは同業他社の前例を調べてちゃちゃっとガイドラインを作り、偉い人は意気揚々とそれを全社に申し渡し、わたしはいくつかの嫌みを言われた。録音はしなかった。たいした内容ではなかったからである。わたしが新人だったころから二十年、世界は変わった。「人権振りかざすババア」にたいしたこと言えないんだよな、もう、みんな、少なくとも、うちの会社では。
 そういう潮目を見ている段階で、わたしの社会性はゼロではない。ゼロではないが、やはりわたしは鈍い。強いのではない。鈍いのである。他人が気にすることが気にならない、その確率がやたら高い。

 そんなだから敏感な部下の気持ちがわからない。わたし、敏感なんです、と本人が言わなければ、その人が敏感だと自分を認識していることにも気づかなかっただろう。
 そうですねとわたしはこたえた。わたしが鈍すぎるので、すみません、と言った。その部下は少し黙って、いえ、わたしが特別に敏感すぎるんです、と言った。
 しかしわたしの目には、その部下の敏感さは特別ではなく、典型的なもののように見えた。自分の周囲の人の目、人の言うこと、人の評価、そういうものをとても気に病む。そして気に病んでいる時間が長く、気に病んでいる対象との問題解決に使用する時間は短い。採用する問題解決は当人同士の話し合いではなく、密室で第三者(たとえばわたし)に訴えかけるというものである。
 わたしが知るいくつかの例にかぎるのだが、その種の「敏感な人たち」は密室と権力者が好きである。部署内で権力を持つわたしと二人きりで、部内の別の人との関係について語りたがる。気にしている相手本人とではなく、オープンな場ででもなく。そうして彼らが訴える内容は、「人権にうるさい」わたしにとってもハラスメントとは言えないものである。
 せっかくガイドラインを作ったのに、そこに「特段の事由がなければ、面談は複数でおこなう」「特段の事由があると判断した場合も、別途記載の担当者に面談を実施する時間と場所を予め知らせてからおこなう」と書いたのに、読んでくれていないのだろうか。
 そう尋ねると部下は「読みました」とこたえた。読んだけれど自分は該当しないと、そう思っているのだそうだ。

 どうしてだろう。
 どうして「敏感な人たち」は自分をデフォルトで特別な存在として扱うのだろう。特別扱いを当たり前のように要請するのだろう。

 その部下は特別ではない。だからわたしは、その問題は会社やわたし個人が解決する性質のものではないですと言う。

 わたしは密室を出る。わたしは息をつく。わたしは、プライベートの特別のときを除いて、密室を好きではない。